馬に乗った修行者の道。
大沼枕山碑の特徴
大沼枕山碑周辺の研究所は私の育った家だ。
子供の頃は訪れるのが怖かった場所でもある。
馬に乗った修行者の伝説が残る史跡です。
【下総国相馬郡藤ヶ谷村金毘羅神祠碑】【現代語訳】昔、馬に乗ったある一人の修行者(道士)がいた。その者は象頭山の神木のお札を持ち、藤ヶ谷村を通りかかって馬を休ませた。馬を借り、これから先の道へ向かおうとして、簡単なお札を鞍に見つけた。それを譲り渡すとすぐに馬から降りた。その道人は言った。「神霊は、この地で祭られることを望んでいるのだろうか。」するとすぐにそのお札を深野氏に託し、立ち去った。それ以来、深野氏は神に仕えることを非常に励み、祭祀を豊かに整えて、倹約して暮らした。しかし、なお十分ではないと感じ、後に遠く、象頭山へ登ることを重ね、ついには三度に及んだ。その願いがかなえられたことは、ここにまことに著しい霊験があった。そこで、新たに神祠を自宅の中に建てた。それは嘉永五年(1852年)壬子の、ある月のことである。それから二十余年が過ぎ、修理されぬまま、しかも破損してしまった。そこで村の長老と相談し、改めてこれを造り直した。槻の木で堂を作り、檜で社殿を構え、さらに堂の腰部を彫刻して、見るに美しい姿とした。近隣の村々の男女は競って金品を出し、これを助けた。私はこの出来事を記すよう依頼された。私が尊敬し奉る山の神は、ここに長年鎮まっておられる。そのことを喜び、この文章を作り、また後にこの祠に関わる者たちに告げる。代々受け継ぎ、道理において怠ることのないようにせよ。新たに記す。明治五年(1872年)壬申の年、冬十一月。東京在住の大沼枕山、ねんごろに書く。【漢文原文】下総国相馬郡藤ヶ谷村金毘羅神祠碑昔者有一道人持象頭山神木符過藤谷邨而憩馬賃馬将就前塗目約符於鞍随傳随隊道人謂曰神霊欲享祀於此耶輒付諸深野氏而去矣令之深野氏事神太謹祭莫豊備然未為至以後遠登象頭山丸及三次其得所願亦甚有験於是乎新建神祠干宅中實嘉永五年壬子某月也爾来二十餘年不修且壊乃與父老議改作之以槻為堂以檜為宇又彫琢堂腰以成観之美其近邑男女争出錢物以助之使余記其事余所尊奉山神於茲有年喜而作之且告後之従事此祠者使相継承而無怠于理新云明治五年歳次壬申冬十一月東京枕山大沼厚撰【書き下し文】昔者(むかし)一道人の象頭山の神木符を持する有り。藤ヶ谷村を過ぎ馬を憩(とど)む。馬を賃(か)り将に前途に就かんとし約符を鞍(くら)に目(み)る。随ひて傳(つた)へ随ひて隊(お)つ。道人謂ひて曰く、神霊此(ここ)に欲享(きょうし)せられんことを欲するかと。輒(すなは)ち諸(これ)を深野氏に付して去る。之をして深野氏、神に事(つか)へ太(はなは)だ謹祭(きんさい)し豊備なること莫からしむ。然れども未だ至れりと為さず、以後遠く象頭山に登ること丸三次に及び、其の願ふ所を得ること亦た甚だ是に験有るか。新たに神祠(しんし)を宅中に建つること実(こ)れ嘉永五年壬子某月なり。爾来二十餘年、修めず且つ壊れ、乃ち父老と議(はか)り改めて之を作るに、槻(つき)を以て堂と為し檜を以て宇と為す。又た堂腰(どうよう)を彫琢(ちょうたく)し以て観之美を成す。其の近邑の男女、争ひて錢物を出だし以て助く。之余をして其の事を記さしむ。余の尊奉(そんぽう)する所の山神(さんじん)茲(ここ)に於けるや年(とし)有るに喜んで之を作り、且つ後(のち)の此の祠に従事する者に告ぐ。相ひ継承し理に怠ること無からしめよと。新たに云ふ、明治五年歳次壬申冬十一月 東京枕山大沼厚く撰す。
| 名前 |
大沼枕山碑 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
5.0 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
ここの脇の研究所は私の幼少期に育った家がありました😹昔はちょっと怖くてなかなか上がれなかったです。