周辺のオススメ
スポンサードリンク
スポンサードリンク
「岩常の耳塚」は岩常集落を流れる道成寺川の側に建ちます。元禄7年(1694年)岩常の小林次郎左エ門は340年忌の供養として「耳塚」を建立し今に残ります。岩常は因幡守護山名時氏の本拠地でした。当時は伯耆守護として家運隆盛の時期で南北朝の動乱期は南朝方に加担し幕府側と交戦します。文和4年(1355年)2/6 幕府軍と摂津において(海南合戦)に大敗し、家臣や一族郎党347名を亡くしました。帰国後盛大に供養し耳塚を建てました。その耳塚を340年忌の供養として小林次郎左エ門が再建した石碑が (岩常の耳塚)です。海南合戦で時氏の嫡男師義がこの戦いであわや打ち死にかという場面で殿(しんがり)を勤めた人物は小林民部丞で同人は帰国後の供養の責任者を勤めています。元禄の小林次郎左エ門との関係はわかっていませんが、もし判明して一族ならばこれもひとつの因縁でしょう。「岩常の耳塚」は岩常の栄枯盛衰を静かに語りかけます。