桐山城跡巡りの拠点!
桐山城跡の特徴
桐山城跡の主郭は広大な景観が魅力です。
網代から浦富アルプスルートがアクセス便利で嬉しいです。
鳥取県岩美町の豊かな自然が楽しめる史跡です。
地図上の「いわし山番小屋」附近と県道のあたりに通行規制の看板があり、その横に脚立がたけかけてある。たぶんここが入口。よほど準備していかないとまともに登れないと思う。私は3分で挫折した。
20191104 桐山城の上リ口が分かりました。後日山城へ上がります。「桐山城」は築城後は廃城同然となっていましたが、天正元年(1573年)武将山中鹿之助が突如隙をついて、尼子家の再興と中国地方への進出を図るために乱入し「桐山城」を拠点にしました。鹿之助は但馬の日本海から船で岩本に上陸して来ました。天正3年(1575年)2月、但馬の毛利党で「桐山城」城主垣屋豊続が吉川元春に奪還を要請しています。この間山中鹿之助は「甑山」にも拠点を築いており勢い盛んでした。毛利方は「桐山城」を軍事の最前線と位置付けており吉川元春が軍勢を因幡の国に進めて山中鹿之助を追い払っています。鳥取藩池田家の治世になりますと、鵜殿家が城下に陣屋を構えて城下町を整備、藩主から統治を事実上任されます。地元の方は鵜殿さんで通じます。城下の浦富は今も当時の面影が色濃いく残っています。
| 名前 |
桐山城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 8:00~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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丹後久美浜の地を後にし、日本海側、次は、何処の城跡巡ろうか?候補は有るが、取り合えす、鳥取方面を、城崎抜け、車走らせる。道路事情かなり良くなったね。無料の高速規格道路もあり、かなり距離を稼げる。時間短縮。さて、岩美の道の駅までやって来た。悩んだ結果、やはり、山中幸盛公、通称 鹿之介様を推してるので、ここ、桐山城跡を攻める事に。取り合えず、海側に車を走らせる。あの山だよね。砲台跡、T字路曲がり、あの山だから、この辺り左に曲がって、??? 突き出た集落の先???? 自動車でもギリギリ。先端まで来たが、山城標識無かったよね。Uターンも一苦労。ソロリソロリ、この空き地怪しい。車停め。有った。 城跡案内板。ここから登るのか。して、登山口は、何処?付近の草かき分け奥に進むと、有った。山城攻めるよりも、ココに、辿り着く?気を取り直して、いざ、攻城へ。地元の有志のおかげで、登山道は、一定の整備状態は保たれている。ダラダラと登り続ける。尾根筋へ出たかな? あと少し?あれ、上り下り繰り返す。まだ、あの山頂?途中、別の登山口分岐(いわし山側は、閉鎖中の模様)を過ぎ、これも、鹿之介様に会うため。ロープクライミングを繰り返し、キター! 木にくくりつけられた城跡案内読み、この先に何があるのか?。チョット、この攻城、山登りの労力に見合った城跡遺構は、望め無かった。日本海の眺望は、流石に気持ちいい。吹き抜ける風、クールダウンにグッド。遺構は、曲輪は感じられるが、説明標識何もなく、登頂記念は、三角点。うーん、尼子再興の旗を揚げた地としては、期待感に比べて、物足りないのは確か。地元方々にとっては、貴重な郷土の城跡。是非とも、盛り上げてもらいたい。豊臣兄弟!人気。鳥取城攻め、秀長公人気にあやかって。