坂上田村麿ゆかりの神社で歴史を感じる。
本宮倭文神社の特徴
大同2年の伝説にまつわる歴史深い神社です。
坂上田村麿が訪れた歴史を持つ神社です。
倭文神社碑が奉納されている特別な場所です。
【参考 本宮倭文神社 峡北神社誌 1962年】大同2年 坂上田村麿 東夷征伐の途中ここに立ち寄り、倭文神社碑を奉納したとの伝説がある。慶長7年 大久保長安が総奉行となって、甲斐の3郡に検知をおこなった。その柳平御検地御縄打水帳に「ひとりわり」山1600坪と記載してある。ところが、それから150年後の宝暦6年の柳平村鑑明細帳には「たなはた社」山1600坪と記載されている。この「ひとりわり」の地所と「たなはた社」とは同一場所であるのでこの変更は倭文神社が他へ遷宮した結果と思われる。隣村宮久保に、元郷社、正一位降宮大明神倭文神社が鎮座している。柳平、三ツ沢、宮久保の3村の産神で、黒印神領12石5斗5升、そのうち5石は宮久保、5石は三ツ沢、2石5斗5升は柳平にあった。この黒印状は、慶長18年9月16日、時の神官 横森内記の火災によって焼失したと記録に見えるので、倭文神社の宮久保遷宮は、あるいは慶長中であったともおもわれる。柳平三ツ頭の山頂から、今の位置に遷宮したことから、降宮(ふりみや)大明神と号したとかんがえられる。かくして柳平古社地には冊機姫を奉って、これを七夕社と号した。明治の初年頃迄には7月7日が祭日で、七夕社から、宮久保倭文神社まで、神輿の渡御が行われていた。昭和29年1月 邑内新年会総会で神社尊厳のため、すでに荒廃している社殿を復興し、併せて崇敬の便宜をはからんとして、邑内各神社共氏子の報賽によって、同年本殿、拝殿、神楽殿、鳥居の移築、神輿庫の新築、拝殿の改築等をなすことになった。よって同年5月27日盛大なる竣工式が行われた。尚、七夕社、神明社、天神社、の跡地には植樹し、かつ、石標を建てて、古名を保存する事とした。合祀神社名については、一応貴船神社とはしたものの、此の邑に最も縁故深く、かつもっとも古くから鎮座していた関係から、全邑民は倭文神社名の復活を熱望したのでその因縁と邑民敬神の熱情とを具して、神社本庁に懇請した結果、昭和34年10月、ついに柳平と倭文神社との古い因縁が確認されて、4社合祀の社名を 宮久保の倭文神社と区別するため、「本宮倭文神社」と改称された。[特殊行事等々]1:神明社は上村組にあって、境内社に八幡宮を勧請してある。氏子に平賀姓のものが多く、よって平賀の氏神といわれている。2:貴船神社は窪村組にあって、氏子には宮川の姓を持つものが大部分なため、宮川の氏神といわれている。3:天神社は、武田時代の烽火台(のろしだい)といわれている城山に鎮座している。何時頃か創建は不詳であるが、文学の神として勧請された宮で、邑内有志者の崇敬奉仕していったのである。4:七夕社は古い社地だけに、色々の伝統が残っている。上やしきの池。七夕社へは藤澤の入口右手から山へ登るわけだが、此のあたりはちょっとした小平になっており、上屋敷という地名を持っている。沢に石船があり、常に精洌(せいれつ・水が清らかで澄んでいて冷たい事)の水をたたえている。いにしえは池があって、「上やしきの池」と呼んで、麻(緒)の、のり付け池といわれた。今は七夕社の御神水とよんでいる。雨乞石、元の七夕社のかたわら、木柵の内に 高さ2尺、経1尺位の石が平石の上に2個すえてある。早天続きには雨乞祈願に、この石に水をふりかけ、あるいは縄で縛って、麓の上やしき池に入れる行事がある。何時も霊験あらたかとの事が伝えられている。又この石に御伺いを立ててかなえられる時は軽く上がり、叶えられぬときは、持ち上がらぬといわれ、今の参詣者が多く、祈願や報賽のため、常に賽物が絶えない。5:田村さんの祠、元の七夕社のかたわらに、坂上田村麿を祭ったものと言う石祠があるが、勧請年月は不詳である。6:小屋場と土手。七夕社の南方に小屋場という地名がある。それから20~30間離れた所に、長さ3間位の土手が2本並列している。往古の坂上田村麿の矢場の遺跡といわれている。先年、小屋場へ炭焼き窯を築いたとき雁又のヤジリが掘り出されたという。七夕社・[祭神] アメノタチバナヒメのミコト(機織の神) アメノハヅチオのミコト(倭文神)神明社・[祭神] アマテラスオオミカミ(主神・伊勢大社の神) トヨウケノオオカミ(五穀の神・伊勢大社の神)貴船神社・[祭神] イザナミのミコト(最古の夫婦神のひとつ)天神社・[祭神] 菅原道真公(学問の神様)[鎮座地] 韮崎市穂坂町柳平3195[例祭日] 4月3日 10月10日[社殿および] 本殿 拝殿 神楽殿 神輿庫 鳥居[境内地面積] 1236坪。
しずり神社と読むそうです。管理社で御朱印を戴けたので参拝しました。駐車場は無く鳥居前、狭い橋の端に停め急いで参道と駆け上がりました。車の運転に自信のない方は参拝を諦めた方がよさそうです。
| 名前 |
本宮倭文神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP |
http://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/intro/search/detail/6007 |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
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本宮倭文神社(ほんぐうしずりじんじゃ)。山梨県韮崎市穂坂町柳平。式内社(小)倭文神社の山宮、旧村社。主祭神:天羽槌雄命 天棚機姫命合祀:天照大神 豊受大神 伊弉册命 菅原道眞資料によると、当社は、南西2Kmほどの宮久保鎮座の倭文神社の山宮である。七夕社(天棚機姫命、天羽槌雄命)と、上村組にあった神明社(天照大神、豊受大神)、窪村組の貴船社(伊弉册命)、武田時代の烽火台といわれる城山の天神社(菅原道眞)を、貴船社の社地に合併して、昭和三十四年、許可を得て本宮倭文神社と改称した神社。社名や祭神を見ると、倭文神社の山宮・七夕社が中心となっている神社だとわかるが、この倭文神社に関して『大日本史』には、「今在二宮久保村一稱二降宮明神一、舊址在二柳平村一、曰二山宮又織女祠一。按降・織訓同」とあり、この山宮・七夕社が倭文神社の元社であり、柳平から宮久保へ遷座したため、降宮と呼ばれるようになったとある。とあります。参考として、俗に本社を「降宮大神」と呼ばれるが、それは旧社地(山宮)より現在地へ降(ふ)られたとの伝承よりする名称である。本社はもと現在地より北東約1.5Kmの柳平に鎭座したが、柳平七夕には現在社殿はない。