神社の手入れが行き届く、歴史ある境内。
部屋八幡宮の特徴
部屋八幡宮の由緒は、豊前大分の宇佐神宮からの奉遷に由来します。
境内には二荒山神社碑や愛宕神社など多様な社があります。
手入れの行き届いた清潔感が感じられる神社です。
大きな神社ではありませんが掃除が行き届いているし、建物など誰かが手入れしているのが感じ取れます。お隣の敷地が建設会社なのですが、トイレ使って下さいと看板が出ていて好感を持ちました。暑い日だったので水道を使わせていただきました。ありがとうございました。
残念ながら手水は出来ませんが、氏子中に大切にされている印象の神社です。拝殿右側に力石が多数奉納されています。
名前 |
部屋八幡宮 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-tochigi/jsearch3tochigi.php?jinjya=75817 |
評価 |
3.8 |
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部屋八幡宮(へやはちまんぐう)御祭神 誉田別命境内社 二荒山神社碑 稲荷神社 三国第一山石碑 雷電神社 厳島神社 愛宕神社 琴平神社 合殿(大杉神社・八坂神社)由緒慶長年間(1596~1615)に、豊前大分の宇佐神宮を奉遷したのが創始と伝わっています。寛政(1800)の頃の記載「都賀郡 宇佐八幡宮 部屋 法蓮院」(「鹿沼文書・下野神名帳」参照)明治三十六年(1903)の記載下都賀郡部屋村大字部屋鎭座 村社 八幡宮 祭神 譽田別命 建物本社間口五尺奥行四尺 拝殿間口四間四尺奥行二間 末社一社 氏子二百六十五戸本社は慶長年中(1596~1615)の創立にして豊前の宇佐八幡宮を奉遷し勸請すと云々 社域七百七十八坪にして字宮沖に在り(「下野神社沿革誌」参照)部屋八幡宮の鎮座する部屋地区は、下野と江戸を結ぶ水運の中継地として栄え、嘗て神社の前には巴波川が流れ、船旅の安全を願う人々が参拝し、地域交流の中心でした。境内には県内外から寄進された力石が十数個置かれ、部屋河岸としての当時の村の繁栄がうかがえます。(栃木のクチコミナビ「旅ナビ!」参照)藤岡町指定有形文化財(歴史資料)「力石」昔の農村の若者達は米俵を担ぐなど力仕事をすることが多く、力くらべをよく行ったと伝えられています。江戸時代中期から明治期にかけて、各地の神社の祭りの際には力自慢を競う競技が行われ、力石が神社などに奉納されています。この十二個の力石には、その半数に重さや奉納者の名前などが刻んであります。重いもので200kg以上、小山市や埼玉県など他の地域から奉納された石もあります。古いもので寛政二年(1790)の刻字が確認できます。巴波川を利用し、江戸と栃木を結ぶ水運の中継地としての部屋河岸、それを中心とした旧部屋村の繁栄がうかがえる郷土の文化遺産です。(「境内案内板」参照)