磯辺彫刻の見事な神社!
熊野神社の特徴
上泉熊野神社では伊耶那岐命や火産霊命を祀る歴史ある神社です。
江戸時代後期の名彫刻師磯辺が手掛けた美しい彫刻があります。
明治時代の神仏分離令に基づき、社号が熊野神社に改められました。
江戸時代後期に活躍した栃木市大平の名彫刻師、磯辺が手掛けた彫刻は見事です。
礒辺敬信と渡邉正信の彫刻。
名前 |
熊野神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-tochigi/jsearch3tochigi.php?jinjya=75599 |
評価 |
4.0 |
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上泉熊野神社(かみいずみくまのじんじゃ)御祭神 伊耶那岐命 伊耶那美命 火産霊命由緒明治三十六年(1903)の記載中村大字上泉鎭座 村社 熊野神社 祭神伊弉冊命 建物 本社二間四方 氏子七十九戸本社創立不詳 社域百四十二坪を有し宇本澤の平坦の地に在り(「下野神社沿革誌」参照)熊野神社と彫刻嘗ては火産霊命を祀る愛宕社と称していましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令を踏まえ、明治二年(1869)に紀州国(和歌山県)から熊野大神の分霊を勧請し、社号を熊野神社に改めて現在に至ります。鳥居は昭和四十二年(1967)に再建されたものですが、その脇には天保十三年(1842)に建てられたとされる鳥居の一部が残されています。また、社殿の建材は巴波川氾濫のとき流着したものを使用と伝わっています。上泉熊野神社の特徴は、江戸時代末期に建てられた社殿の三方に廻って施された豊富な彫刻装飾です。木鼻や懸魚などの細部には龍、鳳凰、獅子などの精巧な彫刻が施され、虹梁や手挟は完全に彫刻化しています。欄間部には、竹馬や碁に興じる子供達、光子甕割といった中国の故事と、様々な透かし彫りが施されています。これらの彫刻は社殿に「富田氏 後藤松需 彫工」「栃木住 渡辺正信 彫之」と刻まれていることから、少なくとも二人の彫刻大工の手によることが分かっています。二人共に当代一流の彫工ですが、特に後藤松需は名工として名高い礒辺一族の分家三代目・礒辺敬信(1828~1897)にあたります。敬信が制作した彫刻は鹿沼市指定文化財「銀座二丁目屋台」など一族で最も多くの数が残っていますが、熊野神社の彫刻は彼の若い頃の作品と考えられます。周辺の神社と競い合うように濃密に施された装飾彫刻からは、今と変わらぬ、神社を大切に敬う地域の人々の心がうかがわれます。(「境内案内板」及び「栃木県神社誌」参照)礒辺一族について礒辺一族は、本家・分家共に栃木市大平町富田を拠点として活躍しました。分家初代・礒辺隆顕(1821没)は、左甚五郎十二世を名乗って、小山市指定文化財「大川島神社本殿」にその彫刻が残っています。二代・隆信(1878没)は、小山市指定文化財「中里神社本殿」や、鹿沼市の栃木県指定文化財「今宮神社唐門」にその彫刻が残っています。また、文政元年(1818)の日光東照宮五重塔再建時の彫物方棟梁・後藤正秀のその一族です。(「境内案内板」参照)