熊谷市の有形文化財で、心温まるお参りを。
長慶寺の特徴
熊谷市の有形文化財に指定された歴史ある寺院です。
妻沼聖天山の職人が手掛けた伝統が感じられます。
家族のペットのお墓も受け入れてくれる温かいお寺です。
江南文化財センターのブログで知りました。熊谷市指定の有形文化財だそうですね😃 御朱印は有りますか? 本堂.薬師堂.薬師堂の厨子が 彫刻師の祖である石原吟八郎と弟子たち、国宝「歓喜院聖天堂」棟梁の林兵庫正清を中心とした建築大工集団の協働が技術的評価と歴史の知見を調査に因って得られ指定文化財となった。✳この事を知り得たのは、平戸の源宗寺の文化財調査を担った市職員の山下氏や関係各位のたゆまぬ努力が大きな功績でしょう。✳源宗寺の報告動画は何れアップされるが、基ネタ撮影の任を12月3日にしていた、もう一人の主役山川氏の存在は、平戸の大仏さんが巡り合わせくれた事と思います。 山川氏の職場のブログから新たな情報長慶寺を知る事ができたし、そのことでお寺に詳しく成れるのは山川氏の存在なくして語れない。有り難う(盲亀浮木)令和三年十二月七日 合掌🙇🙏長慶寺さんは高野山真言宗のお寺の様ですが、本地身説法と加持身説法の加持身とはどの様な事かをご教授して戴けませんでしょうか宜しお願い申し上げます🙇
長い歴史を感じます。 本堂の佇まいに心がほっとするのは不思議です。
歴史も長く、埼玉県熊谷市妻沼聖天山の作った職人が手掛けた、お寺でもあります、親切丁寧に、アドバイスしてくれる良いお寺で、また、家族の一員のペットのお墓もでき、家族全員末永く、お付き合いできるお寺です、
親切丁寧に、アドバイスしてくれる良いお寺です。
どうしても、幼い頃お世話になった自分の叔父さんの御墓参りをしたくて、叔父さんが婿にいった熊谷まで、場所も知らないまま、とても長いみちのりを妻、息子を乗せて走らせました。その日を逃すと年内は無理なのです。31年前亡くなったとしても、探す手懸かりが無いことはとても恥ずべきことです。記憶の熊谷だけ、3年前亡くなった末の叔父さんの残してくれた御寺名、戒名、それだけでした。その御寺長慶寺様に連絡が取れれば行けると思い熊谷に着いた頃、ネットで調べていた電話で長慶寺様に尋ねました。しかしその地域はお寺様が多く、他のお寺様でした。その様な中、長慶寺住職様は見ず知らずの自分たちに、叔父さんのお寺を探してくださり、おかげで叔父さんのお墓にたどり着く事ができました。今年は自分の家の法事、叔父さんの弟、母親、祖母、父親がこの秋に行う予定で、みんなに報告できます。これも長慶寺住職様の助けがあればこそでした。帰りにお礼に寄らせていただき事情を伝えると、帰りの道中の安全祈願をして下さいました。本当に心暖かな住職様でした。またいつか近くに行くことがあれば、よらせて頂きたいと思います。
名前 |
長慶寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
048-588-2006 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.4 |
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熊谷市の有形文化財に指定されている旨の案内看板が設置されています。初訪問の為、心踊るを期待して行きました。伽藍(本堂・薬師堂)が有形文化財のようです。古めかしく、ひっそりとした佇まいのお寺です。文化財の案内などを記したPRがあれば良いのに❗✳✳薬師堂の海老紅梁、材は細いが随分と曲がりがある形状です。此れを観たら住職に訊かずにはいられませんね。説明に無いので❓✳「蛙股部にある十二支の彫刻」と説明の看板に書いてあるが.....詳しい説明が何も無くて分かりませんでした😩✳どこぞに「寅薬師」なる文字があったけど、どの様な意味なのか其れも分からないです😖『弘法大師が一刀三礼謹刻され、寅の日、寅の刻に成就されたため寅薬師と称される』の伝承に基づくことから寅薬師の表現を使用しているのかなぁ~~其れとも、中武蔵寅薬師72 霊場の様に今年が寅年で12 年に一度のご開帳をしているから、そう云った風習を真似て寅薬師の表現を使用しているのでしょうか❓只、此のお寺さんの御朱印の領付は本堂・阿弥陀如来、薬師堂・薬師如来と説明があり「12年に1度」などとは何処にも書いていないことから『寅薬師』の表現よりは『薬師如来』の表現の方がしっくりくる。詳細の解る方に教えを乞う次第です🙏十二支の彫刻って虎のことで宜しいかと。虎の由来判ると嬉しいですよ❗ 例えば坂東33観音霊場10番『野荒しの虎』の様な説明があったら...木鼻も然り。御朱印は土日の午後は受付しないそうです。最後に此の辺り古義真言宗のお寺が多い様です。然も瑠璃光を山号としたお寺が在るやに感じた。兄弟寺なのかなぁ~ はたまた薬師如来信仰の流行った時代に創建され、開山和尚が何か関係があるのだろうか?謎は深まるばかり興味の湧くお寺ですよ😁