高橋竹山記念館の真実。
平内町 歴史民俗資料館の特徴
入館料は大人100円とお手頃で、手軽に訪れやすいです。
展示の一部は高橋竹山に関連し、特に興味深い内容が楽しめます。
複数箇所で蛍光灯が切れていて、展示の視認性がやや低下しています。
入館料大人100円。歴史民俗資料館なんですが、高橋竹山資料館って言った方がいいかもですね笑。今回この資料館に入って初めて高橋竹山の事を知る事ができました。つがる三味線を全国規模に広めた方。とても平内町に貢献して高橋竹山のねぶた、銅像、絵など様々な人に愛されている方だと感じました!今日の機会をきっかけに高橋竹山そしてつがる三味線に興味をもって触れてみます!
蛍光灯が複数箇所で切れていて展示が観にくい。
民族資料館ではなく高橋竹山記念館だと思います。入場料は大人100円です。高橋竹山経歴青森県東津軽郡中平内村(現在の平内町)小湊にて出生。父は高橋定吉、母はまん。二男二女の末子。本名定蔵。2~3歳の時に麻疹をこじらせて半失明する。小学校でいじめにあい、3~4日で辞めてしまう。その後近所のボサマ(盲目の門付芸人)であった戸田重次郎から三味線と唄を習い、15歳頃から東北北部・北海道を門付けしたという。函館にて戸田の師匠梅田豊月と出会い感銘を受ける。16歳にて師匠の許しを得て独立。一人で各地を歩く。1933年3月2日に三味線引きの仕事で三陸海岸にある玉川の旅館に宿泊中、夜半過ぎに強い地震に遭った。これが昭和三陸地震と呼ばれる地震で宿泊していた宿は津波に襲われて全壊。高橋は地震が収まったあと宿から避難し津波の来る直前に命からがら宿の裏にある山へ避難することができた。1938年、イタコをしていたナヨと結婚。太平洋戦争の激化で三味線では生活を支えることが難しくなり、1944年、鍼灸師とマッサージ師の資格取得のため県立八戸盲唖学校に入学。一時芸の世界から身を引くが、1950年から津軽民謡の神様とも呼ばれた成田雲竹の伴奏者として各地を興行。その際に雲竹より竹山の芸名を受ける。1954年から雲竹とともにラジオ青森(現在の青森放送)の民謡番組に出演した。成田雲竹は高橋竹山に対して、伴奏のみならず他の津軽民謡に三味線伴奏を付けるよう依頼、以後雲竹の作詞作曲した『りんご節』など、雲竹・竹山のコンビで多くの津軽民謡を発掘・制作し発表した。1963年、キングレコードより史上初の津軽三味線独奏LPレコード『源流・高橋竹山の世界~津軽三味線』を発売。これによって竹山の名は津軽三味線奏者としての名声を得る。1964年、雲竹の引退・隠居により雲竹・竹山のコンビを解消。1971年、青森放送で竹山を取り上げたドキュメンタリー『寒撥』が放送。一般にその名を知られるきっかけとなる。番組は同年度の文化庁芸術祭で優秀賞に選出された1,。1973年、小劇場渋谷ジァン・ジァンに初出演。その後も定期的に開催したライブで多くの若者の心を捉え津軽三味線ブームのさきがけとなった。1975年、自伝『津軽三味線ひとり旅』を出版。1977年、新藤兼人脚本・監督により映画『竹山ひとり旅』が製作され、モスクワ国際映画祭に日本代表作品として出品される。竹山役は林隆三が演じた。1986年、アメリカ公演をし、これが世界に津軽三味線の名を知らしめる元となった。ニューヨーク、ワシントンD.C.、ボルチモア、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ホノルルなど7都市で10回の演奏会。厳しい論評で知られるニューヨーク・タイムズは「まるで魂の探知器でもあるかのように、聴衆の心の共鳴音を手繰り寄せてしまう。名匠と呼ばずして何であろう」と最高の賛辞を贈った。1993年、妻ナヨ死去。1998年2月5日、喉頭癌により平内町立中央病院にて死去。享年87。戒名「風雪院調絃竹山居士」。お墓は町内の東福寺にある。晩年は衰えを自覚しながらも現役を退かなかったが、内弟子として師事し最後まで演奏活動を共にした竹与に二代目高橋竹山の名を譲った。他にも弟子はいたが、竹与だけが教授活動を一切せず演奏活動だけで生活していたことを認め、その行く先を心配してのことであった。
歴史民俗資料館というよりは、高橋竹山記念館の方が正しいかも。津軽三味線、竹山先生のファンなら絶対におすすめ。入館料100yen縄文土器も数十点が展示されている。竹山ファンは浅虫方面のほたて広場も併せておすすめ。
歴史民俗資料館というよりは、高橋竹山記念館の方が正しいかも。津軽三味線、竹山先生のファンなら絶対におすすめ。入館料100yen縄文土器も数十点が展示されている。竹山ファンは浅虫方面のほたて広場も併せておすすめ。
名前 |
平内町 歴史民俗資料館 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
017-755-5020 |
住所 |
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HP |
https://www.town.hiranai.aomori.jp/kanko_bunka_sports/bunka_shisetsu/2077.html |
評価 |
4.1 |
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閉館30分前に滑り込みました。縄文前期からの土器や土偶が寂しそうに狭い空間に展示されています。しかし、内容は素晴らしく、もっと一つ一つをいろいろな角度から、かつ明るい照明で見たかったです。展示以外にも多くの土器や土偶があるとのことでした。高橋竹山氏の展示も 昔から憧れていたので興味深かったです。