2000年の歴史、出雲祝神社で静謐を感じる。
出雲祝神社の特徴
2000年の歴史を持つ入間郡の名社で、由緒正しい神社です。
映画ホッタラケの島の舞台にもなった美しい境内が魅力です。
静謐な雰囲気の中で、古き歴史と自然の豊かさを感じられます。
入間郡式内社5座の1座の出雲伊波比神社の論社。資料によると、当社創建を語る社伝も古く、景行天皇の代、日本武尊が東夷征伐のとき、当地小手指ヶ原に至り、天穂日命、天夷鳥命を祭祀して出雲伊波比神社としたという。所蔵の棟札(62.8cm)に「伊都毛伊波比再造 牟射志入間臣宇助 大寶二年壬寅九月廿九日」がある。当社は式内社、出雲伊波比神社の論社とされているが、他に毛呂の出雲伊波比神社、北野物部天神社、川越の氷川神社などの論社がある。『風土記稿』に寄木明神社とあるのが当社で「御朱印社領十石を賜はる神明帳に載たる国渭地祇神社是なりと、口碑に伝へたれど、よせる証跡はなし、祭神は素盞鳴尊を祀ると云、本社幣殿拝殿等備りて前に木の鳥居を建、矢寺・荻原・小谷戸・大森・中野・坊・二本木等七村の鎮守なり、此辺を宮寺郷と号することも、当社に権与せしならんと云」とあり、地名にも残る「寄木」については、社記に「この辺の氏族は出雲系で、出雲の国杵築湾に漂う木を取りあげ造られたのが出雲大社であり、天穂日命が東国に下ったとき杵築湾に漂い寄った樹種を携えてきて播種したのが、当寄木の森」と伝えている。とあります。御祭神は天穂日命、天夷鳥命、兄多毛比命。
社格は、延喜式内社論社、旧村社。宮寺郷十八ヵ村(現在の所沢市から東京都瑞穂町)の総鎮守。御朱印は、宮司宅に電話で、確認を取り宮司さん不在でしたが、書き置き御朱印を奥様から頂きました。¥500。宮司宅は近くのハタヤ稲荷を正面にして左側の西村宮司宅で頂きました。必ず事前に電話で確認してから頂きましょう。
2000年の歴史を有し、古くから宮寺郷の総鎮守様として親しまれています。祭られた主な神は、天穂日命・天夷鳥命・兄多毛比命で、文化財として北条氏康公からの朱印状等の古文書類があり、また境内には重闢茶場碑があります。アニメ映画『ホッタラケの島』の舞台としても知られています。いってんべー 宮寺・二本木八景の一つです。
静かな神社です。宮司さん宅で御朱印を頂きました。
ゆっくり時間が流れています。
駐車場は参道脇の道路沿いにありました。手水舎は誰も訪れないせいか水が止められており、自分で蛇口を開いて水を受けました。そんな状況でも境内の枯葉はきれいに掃かれており、きちんと管理されている様子でした。幹線道路からはかなり奥まった立地で周囲は畑と民家、車の往来も無く本当に静かな神社です。
出雲祝神社は『延喜式神名帳』に記載されている武蔵国入間郡 出雲伊波比神社に比定される向きもある延喜式内論社。他に毛呂山町の出雲伊波比神社、所沢市の物部天神社、川越市の氷川神社が候補に上がっているが、大宝2(702)年の棟札には「伊都毛伊波比再造」と刻まれており、論社の中でも有力とされているようだ。祭神は天穂日命、天夷鳥命、兄多毛比命の3柱で、旧社格は村社。天正19(1591)年に徳川家康より10石を寄進する旨が書かれた御朱印状が残されています。鬱蒼とした森の中、古社の趣きあり。暗くなる前に、と急ぎ足で歩いてきたので疲労困憊でしたが、癒されました(//∇//)
6/27(土) 宮司さんはおらず、御朱印は頂けませんでした→TELをして宮司さん宅で対応してくださるとのこと由緒が消えかかっていて見えませんでした。八雲神社、護国神社も祭られています。
住宅街の側にある⛩️神社手水舎の中に キレイな水でなく汚れた雨水?近くにあった水道で手を浄めました😥
名前 |
出雲祝神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
04-2934-4519 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.1 |
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出雲祝神社(いずもいわいじんじゃ)は景行天皇年間(71年~130年)創建されたと伝えられています。日本武尊が東夷征伐時、小手指原に立ち寄り、天穂日命・天夷鳥命を祭祀したこと起源と伝えられています。祭神は、天穂日命、天夷鳥命、兄多毛比命の3柱です。大宝2年(702年)に本殿を再建前の棟札(現存)には、「伊波比」と刻まれていました。棟札「伊都毛伊波比再造 牟射志入間臣宇助 大寶二年壬寅九月廿九日」出雲伊波比神社の論社(延喜式内社論社)と考えられています。