歴史ロマン漂う浦賀奉行所。
浦賀奉行所 跡地公園の特徴
江戸時代から明治にかけて歴史を感じられる貴重な場所です。
案内板が整備されており、分かりやすい説明が魅力的です。
浦賀奉行所設立300年を迎える歴史ロマンあふれるスポットです。
2024年3月28日に見学しました。下田から浦賀に奉行所が移されたのは、享保5年1720年のことだそうです。下田には、約百年間、奉行所が置かれたことになります。海の関所として、江戸の「入り鉄砲に出女」を厳しく監視してきました。船舶の積荷を統制し、物価の変動を抑えていたとも考えられます。幕府直轄地の裁判や民政も担いました。1800年代になると、日本近海に外国船が頻繁に現れるようになります。海難救助の他に外国船への対応、海防が重要な任務となります。ペリー提督が、黒船4隻を率いて嘉永6年1853年に来航した際も、この奉行所が対応しました。与力の中島三郎助と通詞の堀達之助が米軍艦に乗り込み対応しました。また、与力の香山栄左衛門が、久里浜上陸の交渉を行いました。ペリー来航をきっかけに浦賀ドッグにおいて日本初の国産洋式軍艦「鳳凰丸」が建造されています。戊辰戦争により、明治元年1868年に新政府により接収され、浦賀奉行所は役目を終えました。現在は、用水路の石垣くらいしか残っていません。
空き地だけですが、江戸時代から明治に移行するに当たり歴史を探索するに重要な場所。
四方を囲む堀と橋くらいしか見るものがない。一応案内板があるのでそこから情報を入手できる。多分予算の都合で更地のままにせざるを得ないのではないだろうか。(場所が分かりずらいのでお金をかけて復旧しても費用対効果がわるいとか)ここから北にある 浦賀コミュニティセンター分館(郷土資料館) に奉行所及びその周辺に関する展示がある。ジオラマもあるのでここへ訪れる前にそちらを観て、情報をインプットしておくことをお勧めする。
奉行所の遺構はほとんど見るべきものは無く、さらに地元では曰く付きの土地で有名のようです。利用するなら公共の施設などが最適なのでしょうね。浦賀奉行所が復元されれば、それは素晴らしいことだと思うのですが、現実的には難しいのではないかと…。仮に復元されたとしても函館や長崎の奉行所のような規模で建物が再現されるとは思えません。立地もアクセスも悪すぎて、まずは周辺のインフラ整備をしないと人は呼べないのではないでしょうか。そういえばすぐ隣の山の上に海を見つめる巨大な龍馬像を建てようとする計画があり、その案内看板も立っていたのですが、あの話しもどうなったのでしょうか。路地の奥にある巨大な空き地は今後何に使われるのでしょうか。
昔は、住友重機械工業の社宅が在りました。 今は更地。 僅かに、外堀の名残が残っているだけ。 整備してくれるのか?
案内板を見ると、只の更地の上に、奉行所の建物やお白洲の白い砂がイメージできてしまいます。現金なモノですが。。。せっかく更地になっているので、浦賀奉行所が原寸大?で復元されると良いなぁと思ってしまいます。もう少し中島 三郎助や香山栄左衛門の功績が広く伝えられるためにも浦賀の偉人を紹介する場にして欲しいです。義兄弟二人で奉行と副奉行を偽ったという、腹を切る覚悟でペリー来航に臨んだお話しでもあり広く知られていないのが悔しいです。
前浦賀に来たときは素泊まりしてまして(-_-;)家に帰ってからこの場所を知ってから早くも一年が経過してました(-_-;)来れてよかったです僕は楽しめました。
何もない空き地でした。
綺麗な案内板が出来ていて説明も分かりやすかったです。とても広大な土地なのでこのままにしておくのかまた何か奉行所の復元をするのかどの様に活用していくのか楽しみです。
| 名前 |
浦賀奉行所 跡地公園 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
046-841-4155 |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP |
https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/2120/g_info/uragabugyosyo.html |
| 評価 |
3.1 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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横須賀市主催の奉行所発掘調査説明会にお伺いしました。これまで有ったドック就業者の集合施設が解体されたのうけての調査との事でした。しかしながら、奉行所解体の後、その部材の消息は現状不明との事でした。僅か200年前の事が分からない、そんな所にも歴史浪漫を感じました。その後、歩いて5分の浦賀港にある引き揚げ船の船着き場跡にもお伺いして、手を合わせさせて頂きました。