樹齢350年の大銀杏と水仙。
八雲神社の特徴
江戸時代から崇められている八雲神社は歴史深い神社です。
樹齢350年の立派な大銀杏がシンボルとなっています。
夕暮れ時の水仙群落は見晴らしが良く、心を和ませます。
意外と口コミが多い。ダムから道を上がってきて駐車場もないし、すごく見つけづらいと思うのだが。大きな銀杏の木が秋は見ごたえあるのかもしれません。
社殿は昭和に再建されたものとのことですが、江戸時代からこの地で崇められていた神社とのことです。水仙の時期は、神社の周りにも沢山の水仙が見られ、とても綺麗です。
をくずれ水仙郷の近くに看板があり立ち寄りました。石垣の階段を上がりると古いながらも手入れされた広めの敷地に、手水、御神木と思われる大きなイチョウの木や拝殿と小さな社があります。天気の良い時は清々しく感じられます。正面の拝殿の奥に小さい本殿が見えます。ご祭神は素戔嗚尊。拝殿の左側に「山神宮」大山津見神(おおやまつのかみ)(山岳信仰)、「少彦名命」(すくなかみのみこと)疱瘡神 神徳 医薬の神 知恵の神 病氣平癒右側に小さな「八幡神社」があります。八雲神社のおはなし(佐久間ダム湖親水公園より)平安時代中期頃の嘉保3年(1096年)源金吾中納言親元は、安房の国司として柏崎国司神社に祀られ、在国4年。『(領内巡視の折)安房の国の境に北極星が懸れるを見立て、天形星神を祀り給ふ。』これは大崩村の北山のことで、村人たちは氏神として崇敬した。江戸時代元禄2年(1689年)、北山から現在の地に遷座され天形星神社を建立する。源頼朝が歩いた道という話(案内板より)神社周辺には、源氏ケ谷という地名があり、石橋山の合戦で敗れた源頼朝が1180年に鋸南町竜島に流れつき、安房の国をまわったという史実から、この里山を通ったのではないかという話がありますが、そんな歴史やロマンを感じながら歩くのも楽しいですね。
八雲神社のおはなし(参考鋸南町史 他)平安時代中期頃の嘉保三年(1096年) 源金吾中納言親元は、安房の国司として今は館山市の柏崎国司神社に祀られ、在国四年、善政につとめ民を導き、 多くの神祠仏堂を創建した。「(領内巡視の折) 安房の国の境に北極星が懸れるを見立て、天形星神 (てんぎょうせいしん)を祀り給ふ。」これは大崩村の北山のことで、村人たちは氏神として崇敬した。江戸時代元禄二年(1689年)、北山から現在の地に遷座され、天形星神社を建立する。享保五年(1720年) 社殿を建替え、天保十三年(1842年) 社殿再建、しかし昭和十三年(1939 年)大崩の火災により社殿焼失、住民は力をあわせ再興に尽くし、昭和二十六年(1952年)に社殿再興、昭和三六年(1962年)に拝殿再興している。八雲神社の社紋が九曜紋である意味は定かでないが天形星神社であったからという説もある。明治五年頃(1873年頃)に修験禁止令が出され、 神道として素戔嗚尊(スサノオノミコト)を祭神とし、 天形星神社より八雲神社と改称された。地域の人々には「てんぎょやさん」と呼ばれ、今も親しまれている。【現地案内板より抜粋】早咲きの桜シーズンを一足遅く間に合わず、湖畔の周辺マップを見て訪問。のどかな里山の雰囲気にマッチする社殿。立派な銀杏が境内にあり、また秋にも訪れてみたい風景でした。
鋸南町大崩地区に鎮座する神社です。鳥居は見当たらなかったです。佐久間ダムから近く農村の神社って雰囲気です。石垣を上がる前から見える御神木の大銀杏の木が立派です。春夏の青々とした葉も綺麗ですが秋の紅葉シーズンは特に綺麗そうです🍁拝殿の屋根は2019年9月の台風15号で被害を受けてしまったそうです。境内は広く社殿を構えた境内社があります。正面は八雲神社、右奥に八幡神社、左奥に疱瘡神、大山祗神社です。八雲神社は過去に天形星神社という名前だったようです。9月24日の祭礼で担ぎ屋台が出る様なので賑やかなシーンも見てみたいですね🎵敷地内には満蔵寺があります。
樹齢350年の御神木の大銀杏が台風で屋根に被害を受けた社殿の境内に。
大銀杏がトレードマーク。水仙郷の一コンテンツとして地元の方に大事にされています。裏の山ではニホンザルが遊んでいました。
年末なのでご近所の方がしめ縄作りをしていました😄
樹齢350年の大イチョウの木がありました、太い木でした。周辺の道路脇には水仙が沢山植えられていました。
| 名前 |
八雲神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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この地域の鎮守様と思われる。かつては明治初期から小学校が設けられるなど、人口がある集落だったのだろうが、現在はご高齢の方ばかりになったとのこと。それでもきちんと整備して守られている神社だ。さらっと社伝を読んだら「金吾中納言が創建」と書かれていたので、「小早川秀秋が?」と一瞬思ったが、よく見直すと、平安時代の源姓を名乗る別人の国司であった。立地も、上総と安房の境をなす北山の峠というところから、元禄時代に当地に遷座したとのこと。