心誉が開いた安養院で、心の安らぎを。
安養院の特徴
町内のお祭りで太鼓を叩きながら練り歩けるお寺です。
昔の思い出が蘇る懐かしい雰囲気の場所です。
流行の蛙寺や梟寺とは一味違った魅力があります。
黒田藩ともつながりのある由緒あるお寺だったと最近知りました。お化け屋敷のようで、小さいころは前を通るのが怖かったものです。ただ、これがマンションなんかになっちゃうとそれはそれで寂しいかもしれません。
この安養院は心誉という朝鮮出身の僧が開いた寺であるとのこと。心誉は黒田長政の家臣、池田九郎兵衛に連れられて日本にやって来たそうですが、おそらく文禄・慶長の役の際に陶工などと一緒に日本に連れられてきたうちの一人なのでしょうね。池田九郎兵衛は心誉に僧をやめさせて還俗させようと妻をあてがうなどしたそうですが、心誉は頑なに還俗を拒んだのだとか。池田九郎兵衛がなぜそんなに熱心に心誉を還俗させようとしていたのかは不明ですが、家臣にしたかったのでしょうか??心誉がよほど優秀だったのでしょうかね?そういった関連もあり、安養院の境内には文禄・慶長に日本に連れられてきた朝鮮の人の古い墓が多くあるのだそうです。近所の人は安養院には貴重な碑があると聞いたことがあるとおっしゃっていましたが、おそらくこれのことなのでしょう。それともう一つこの安養院に伝わるものとして空誉上人の話があります。安養院は殿様が鷹狩をした後に立ち寄る休息の場所として使われていたそうですが、二代藩主の黒田忠之が立ち寄った際に接待をした少年を気に入り小姓として差し出すように命令しました。小姓は男色の相手をさせられることも多かったのだとか・・・。その少年を小姓として差し出すことを空誉上人が拒否したために怒りをかって処刑されたと言われています。空誉上人は非常に残忍な方法で処刑されたと言われ、その処刑場となった天神中央公園の場所には「福岡藩刑場跡」の碑が建てられています。空誉上人の亡骸はしばらく放置され埋葬することさえ許されなかったそうです。それに心を痛めた弟子たちが夜中にこっそり亡骸を運び、現在の大手門にある浄念寺に空誉堂を建ててその死を慰めたと言われています。空誉堂は現在でも残っていて、供養が続けられています。
神社u0026寺巡りにて!扉がしまってて中に入れないようのなってた。もう廃寺が確定してしまってるようです。残念です。
神社&寺巡りにて!扉がしまってて中に入れないようのなってた。もう廃寺が確定してしまってるようです。残念です。
| 名前 |
安養院 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
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昔、子供の頃~町内のお祭り⁉️行事でこの寺から~がんぞいと叫びながら太鼓を叩きながら町を練り歩いたな〜悪戯っ子だったのでよく怒られてたな〜久し振りに寺の前を通ったけど〜寂しかったな~流行りの蛙寺や梟寺するべかなのかな~ちょっと違う気がするけど。