歴史感じる久留里の正源寺、象が待つ参拝スポット。
福徳山 正源寺の特徴
久留里駅近くに位置する浄土宗の寺院です。
境内には珍しい狛象や加勢観音があります。
新井白石と親交のある伴幽庵の墓が保存されています。
久留里駅近くにある浄土宗のお寺。久留里城城主の里見義堯の母君の菩提寺。
久留里駅近くにある浄土宗のお寺。久留里城城主の里見義堯の母君の菩提寺。
【君津市 お寺参拝】◉お寺 正源寺 📍千葉県君津市房総半島に一大勢力を築いていた武将、里見義堯公の母君の菩提寺である「正源寺」さんへ参拝しました。12時25分に参拝で他の参拝者はいませんでしたのでゆったりと参拝する事が出来ました。◉寺院★福徳山 東陽院 正源寺☆山号 福徳山☆院号 東陽院☆寺号 正源寺☆宗派 浄土宗☆御本尊 阿弥陀如来坐像(アミダニョライザゾウ)☆縁起鎌倉時代の徳治2年(1307)時宗の高僧「他阿真教上人」により上総の念仏根本道場として創建されました。天文15年(1546)、久留里城を主城とした武将の里見義堯公にとりたてられて義堯公母君の菩提寺となり、260万石の寄進を請けて阿弥陀如来を本尊とする浄土宗となりました。江戸時代の二代将軍徳川秀忠の頃、里見氏は改易処分となり当寺院は徳川直轄の御朱印寺となりました。明治政府の行なった仏教を廃する廃仏毀釈により焼失・荒廃し当時の物としては山門の一部や樹齢700年を越す大イチョウのみとなってしまいました。☆加勢観世音菩薩境内にあるお堂には「加勢観世音菩薩」が本尊として安置されています。ご開帳は年1回、8月11日。里見氏の戦勝祈願佛として、平時は久留里城の奥深くに、戦時は陣中に安置して日夜御信仰されていた身の丈2尺(60cm)程の観世音菩薩。☆伴 幽庵の墓石江戸時代中期の旗本であり、政治家や学者でもある「新井 白石」と若き日から交流のあった地元久留里の町医者「伴 幽庵」の墓石があります。◉ルート山門をくぐり境内へと入ると小さな狛象さんが迎えてくれます。参道左手に駐車場、右手に観音像・動物供養塔・無縁仏があります。参道を歩くと左手にお堂があり、加勢観世音像が祀られており、右手に伴幽庵の墓石。さらに参道を歩くと左手に樹齢700年以上の大イチョウ右手に鐘楼堂があり最後に本堂となります。◉感想元々は里見氏の菩提寺であったのですが位牌や里見氏の家紋である丸ニ引の紋などはすべて排除されており、山門の真ん中や本堂入口に本堂内にも徳川家の家紋である三つ葉葵御紋が存在感を示しています。お堂にある観音像だけは里見氏にまつわるものとしてかろうじて残されています。ありがとうございました。📍所在地千葉県君津市久留里市場185◉アクセス🚊JR東日本久留里線/久留里駅出口から189m、徒歩3分位。
門の横には象がいます。
2021/9浄土宗 正源寺徳治二年(1307年)の創建。本尊である聖観音立像の別名は加勢観音。久留里城主の里見義堯の守護仏であった。この逸話はなかなか霊験あらたかなお話。
土塀で囲まれておらず、山門だけが建っている。本堂の奥に鎮座するご本尊の姿が拝見できた。
20/07/11参拝。阿弥陀如来を本尊とする浄土宗のお寺。1307年、時宗の他阿真教上人が念仏根本道場として創建され、踊り念仏を広げ、戦国期になると久留里城を本拠に房総を支配した里見義堯の母君の菩提寺に取り立てられ、浄土宗に改めた。小田原北条氏との戦いにも勝った里見氏は加勢観音菩薩を安置し、庶民の信仰を集めたが、江戸期になると里見氏はこの地を離れ、滅亡の道を辿ることになる一方、この寺は幕府直轄の御朱印寺となり、山門に三つ葉葵を掲げるようになり、格式の高いお寺となったが、明治に入ると廃仏毀釈の嵐とともに寺勢も低迷することになり、山門と大銀杏が当時のよすがとなっている。久留里駅のすぐ近くにあり、今後が期待されるのではないだろうか?
久留里の町医師で新井白石と親交のあった伴幽庵の墓搭が保存されています。
境内も綺麗に整備されてますね。戦国大名の里見氏所縁のお寺ですね。
| 名前 |
福徳山 正源寺 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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象の像が珍しい。