智恵子抄碑で過ごす静かなひととき。
智恵子抄の碑の特徴
高村光太郎の智恵子抄から千鳥と遊ぶ智恵子の碑が刻まれています。
昭和9年に千恵子が療養した九十九里町の海岸沿いに位置しています。
九十九里有料道路に遮られ直接海は望めませんが整備され静かに佇んでいます。
何だか忘れ去られた遺跡のよう。草茫々、柵も倒れ、嘆かわしい限り。
1983年、これを見たくて 行った時の写真が出てきました。現在みなさんがアップされている写真と、文字の掘り方が違っています。削れてしまったのでしょうか?近くに国民宿舎があったはずですが、廃止されたようです。
現在は九十九里有料道路に遮られ、直接九十九里浜は望めませんが今でも綺麗に整備されひっそりと佇んでいます。
詩人で彫刻家の高村光太郎さんの奥さんが病気療養していた九十九里町の海岸沿いには智恵子抄碑があります。高村光太郎さんは毎週、東京から奥さんが療養していた親戚の家を訪れていたそうです。高村光太郎さんの奥さんへの深い愛情が伺えますね😌九十九里浜に群生するハマヒルガオも見たかったのですが、防潮堤建設中で立入禁止が多く、僅かしか見ることが出来ませんでした。それでもピンクのハマヒルガオは綺麗でした。
舗装されていない細い道にポツンと碑があるだけです。智恵子抄に深い関心がある人でも一度見に来れば十分です。
碑が苔むして文字が全く読み取れなかった。一度磨きを掛けたら良いと思います。
半世紀前、高校の新入生オリエンテーションで東京からはるばるここへ来た。隣の国民宿舎(当時は平凡な四角い建物)の前庭でフォークダンスを踊り、砂浜で地引網を曳き、浜辺を散歩する途中で国語の教師がこの碑の前で感傷的な解説をしてくれた。当時は砂浜の中に立っていたので随分と探してしまった。ようやく見つけたけれど、これでは邂逅の情は湧かないし詩情も感じない。道路建設のために移設されたのだろうが、砂に埋もれても波に洗われても砂浜に置いておいて欲しかった。
高村光太郎の文学作品の碑です。九十九里浜沿いにあります。サンライズ九十九里の南東側です。
昭和9(1934)年、高村光太郎の妻である千恵子が半年ほど病をいやした所であり、碑には高村光太郎の「智恵子抄」の中の「千鳥と遊ぶ智恵子」が刻まれています。1911年、光太郎は女流画家の長沼智恵子と出会い、 2人は共に生き愛し美を生み出しあう関係へとなりました。しかし、幸せは長く続かず、精神病が智恵子を襲いました。そして精神病の療養のため2人は1934年に九十九里浜を訪れ、光太郎は「千鳥と遊ぶ智恵子」「風に乗る智恵子」など智恵子に対する限りない愛をいっぱいに注いだ詩を残しました。しかし、光太郎の思いかなわず、4年後の1938年10月5日に智恵子はこの世を去りました。看板脇に駐車できます。
名前 |
智恵子抄の碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
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最後は狭いガタガタ道なので注意。海岸にも歩いて行けるので車を適当に止めて。