長弓寺で初詣、五角形の絵馬!
伊弉諾神社の特徴
村井康彦氏の著書『出雲と大和』に登場する神社です。
746年に創建された長弓寺の鎮守が祀られています。
国宝本堂を有する長弓寺の一角に位置しています。
長弓寺と隣接しています。おそらく明治の神仏分離の際独立したように思います。
長弓寺です。穴場できれいな紫陽花が見られるところです!
伊弉諾神社は長弓寺の鎮守社であるとされる。神社は敷地の南側に位置し、祭神は伊弉冉尊、素戔嗚尊、大己貴命である。江戸時代は素戔嗚社と呼ばれていたらしい。神社の規模は大きくないが、境内は綺麗に管理されている。しかしここは、饒速日命の宮殿だったとか墳墓であると言われる。饒速日命の妃だと言われる御炊屋姫の墳墓とされる、夫婦塚が富雄川を挟んで、500メートル西に存する。
日頃拝見出来ないお神輿の掃除です。
村井康彦氏の書籍『出雲と大和』において、日本神話に関係する可能性がある神社の一つとして記載されています。現状、伊奘諾神社は長弓寺の鎮守社とされていますが、たしかにここ一帯には日本神話の神武天皇や長髄彦に関する史跡が点在している地域でありロマンを感じます。
長弓寺脇にあります。長弓寺の守護神として祀られているとのことです。
初詣 参拝しました 絵馬 五角形だけに合格!
たまたま発見して立ち寄った場所でしたが、とても気持ちの良いところでした。ありがとうございました(^^)
延喜式神名帳にある添下郡伊射奈岐神社に比定される神社で、746年の長弓寺創建時、その鎮守として牛頭天王を大宮に、八王子を若宮に祀ったという。長弓寺参道に建つ鳥居はこのお宮さんのもので境内を総括している。これらは明治以前の神仏習合の名残と言える。旧社格は村社。きれいに手入れされており、とても清々しいお宮さんでした。
| 名前 |
伊弉諾神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-nara/jsearch3nara.php?jinjya=5704 |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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伊弉諾神社(いざなぎじんじゃ)。奈良県生駒市上町。式内社(大)、旧村社。【祭神】伊弉諾尊 (配祀)素戔嗚尊 大己貴尊資料によると、長弓寺(長久寺)の鎮守社で、境内の本堂の上り口の右側にある、江戸期は牛頭天王社と称した。天平18年(746年)の長弓寺創建にあたり、鎮守として牛頭天王を祀る。生駒山の北の饒速日山は太陽信仰の対象としての神体山であった。そこには社殿もなかったが天照御魂神社の原型の祭りの庭であった。後に、饒速日命を祀る「上ノ社」がこの頂上に設けられた。 これに対する東の「下の社」がこの登弥神社(現伊弉諾神社)、西の「下ノ社」が石切劔箭神社である。後に物部氏が滅ぼされると、山上の饒速日の神霊はそれぞれ「下ノ社」に遷された。長弓寺は聖武天皇御宇に創建され、その守護神として伊弉諾神社が建立されたとの寺院側の説明であるが、統括する鳥居の存在は、もともとこの地は大宮であって、そこに神宮寺を置いたのが、いわゆる軒下を貸して母屋を取られたのであろう。大宮は式内社の登弥神社であり饒速日命と御炊屋姫を祀っていた。二神の廟社であり「天羽羽弓」を納めた真弓塚が東側にある。旧事本紀には天羽羽矢を白庭山に納め饒速日命の墓としたとあるのが、ここの真弓塚である。 また長弓寺は長髄彦の旧跡でもある。長髄彦が生駒山を越えようとした神武軍を孔舎衛坂に迎え撃ち、五瀬命を戦傷死させた物語がある。「長」は蛇神を奉ずる南方系種族である。「髄」は脛ではなく鐘即ち銅鐸である。銅鐸祭祀の蛇神信仰種族が大和の地で強大な勢力を持っていた。これを金色霊鵄に守られた神武軍が打ち破ったと言う事を伝えている。 蛇対鵄の幾世代にも渡る抗争が神武天皇の大和平定説話となったと理解できる。おりしも唐古鍵遺跡から紀元前4世紀頃の巨大木造建造物の遺構が出ているが、この頃には蛇神信仰種族が大和の地を跋扈していた。とあります。