圧巻の彫刻と御朱印、参拝の必訪地。
観福寺の特徴
県内唯一の龍の丸彫海老虹梁が魅力で、他では見られない彫刻を堪能できます。
お釈迦様の足跡や手水に梵鐘がついたユニークな文化体験ができるお堂です。
小高い丘に佇み、町を見守るような立地で美しい景観を楽しむ参拝が可能です。
とてもいい住職さんでした。
県内には栄町の大鷲神社と駒形神社にしか無いと言われる龍の丸彫海老虹梁此処と芝山町 高野神社にもありました他にも有るのか捜索中です。
20/06/21参拝。真言宗豊山派の寺院で山号は山倉山、ご本尊は大六天王で、全国に点在する大六天の総本山とされている。811年、円頓によって創建され、814年には41歳の空海がこの寺で修法し、大六天と子育観音を勧請したという。神仏分離令以前は山倉大神の別当寺で、ご本尊を山倉大神本殿奥に勧請していたが、現在は本堂に遷座されている。参拝した日には本堂への階段が竹竿で封鎖されていたが、ご住職からは入れないんですとのこと。下のお堂で、ご住職からお寺のこと、大六天のこと、写経、御朱印のことなど、興味深いお話を伺った。佐原から千葉交通のバスで入ったが、本数が少なく、帰りは小見川まで歩いた。
小高い丘の上、町を見守っているようなお堂。
階段がきついです。本尊大六天魔王の御朱印を頂きましま。今まで知らなかった本尊様になります‼佛様のことを知る良いきっかけになりました👍
こちらはいろいろな神様も祀られ、一方でお釈迦様の足跡があったり、手水に梵鐘がついていたりと、なかなか面白い場所ですが、本堂の彫刻が圧巻です。ただ、入り口にある門には銘がなく、解りづらいのと、駐車場もなさそうなので、少し離れた場所の郵便局の隣の空き地的なところに停めるしかなさそうです。それでも来る価値アリです。
Suzushii to kirei na tokoro desu. Sono Otera ga daisuki. Natsukashii.
御朱印をいただきに参拝しました。真言宗のお寺で本尊は聖観世音菩薩と他化自在天(大六天魔王)の二柱となっています。昔は京都の朝廷の祈願所だった所以で参拝客は多かったそうですが今は緑に囲まれた静かなお寺となっています。
関東霊場八十八の第45番です。関東八十八の中で一番手入れがされていない寺だと思いました。御朱印も書き置きが置いてあるのですが大きすぎます。寺に電話したら「葬式で外に出てる」とのことでした。行く前に住職がいるか電話確認した方がいいたら思います。書き入れてもらうことをお勧めいたします。
名前 |
観福寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0478-79-2802 |
住所 |
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評価 |
3.9 |
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関東八十八カ所霊場の参拝でお伺いしました。参拝時に住職様の計らいで本堂に上がりお勤めをし、第六天のお話を聞かせていただきました。真言宗豊山派のお寺で山倉山観音地院観福寺といい、霊場第四十五番札所になります。御本尊は他化自在天王宮「第六天」になります、天部の仏様で約七百五十メートル離れた観福寺の別当であった山倉大神の本殿奥(宮殿)に勧請されていましたが、明治初年の神仏分離令で当観福寺に遷座された。観福寺は京都(都)から東の地に点在する「第六天」の総本山で古来より山倉様と呼ばれ信仰されてきました。「大六天」は真言宗で読誦する「理趣経」に説かれている本尊です。観福寺の開基は弘仁二年(811年)に天台宗の開祖である伝教大師(最澄)が聖観世音菩薩を勧請し開山したお寺です。後の弘仁五年(814年)弘法大師が四十一歳の時に山倉の地を巡錫の折りに疫病に苦しむ村人を哀れみこの霊跡にて第六天を勧請したといいます、九十座の修行満願の日に村人が川で鮭をとり大師の元へ持っていくと大師は御本尊へ供えたあと村人へと与えたその後たちまち病魔は退散したという今でも生鮭奉納の儀式として続けられている。弘法大師により「苦厄除き抜苦與楽の根本一大霊場」と定められた参拝寺院で境内に八方除の参道や厄除けの石段などがある。観福寺の山号は地区の名称から「山倉山」、院号は京都嵯峨御所から下る聖観世音菩薩像が勧請されている伽藍、天地に(地)・伽藍(院:建物)と謂う事で「観音地院」、寺号は観世音菩薩の福徳を授けると謂う事で「観福寺」という。