歴史深い山倉大神へ足を運ぼう。
山倉大神の特徴
弘仁二年に創建、歴史深い神社であることが分かります。
鮭祭りが奉仕され、地域とのつながりも感じられる場所です。
本殿は安永七年に建立され、立派で美しいです。
田舎の由緒ある神社と言った感じです。初めてマルシェが行われていた所にいったので、たくさんの人出で、賑わっていました。地域の方々も活性化に力を入れているのですね。また、行ってみたいです。
もともと第六天を祀る六天宮の総本宮。明治維新後の廃仏毀釈で六天宮は祭神から捨てられ、高皇産霊大神、建速須佐男大神、大国主大神を新しい祭神に宗旨替えし、全く別な宗教施設になった。
神社の創建は弘仁二年(八一一)で、本殿は安永七年(一七七八)三月五日建立。間口奥行きとも四・五メートルの木造銅板葺三間社 権現造で、本殿と拝殿の間を幣殿で繋ぐ、複合的な造りとなっている。彫刻や組物等が美しい。祭神は、高皇産霊大神・建速須佐男大神・大物主大神である。この例祭は、『鮭祭り』とも呼ばれ、かつては毎年旧暦霜月初卯の創建の日であったが、平成十四年から十二月第一日曜日に改めている。この日は、 神社本庁から献幣使の参向があり、例祭式・出御祭・神輿渡御・ 山車巡行等が厳かに執り行われる。鮭祭りでは、秋風とともに産卵のため栗山川等を遡行し、『竜宮からの使者』として奉納された鮭を、白川流の包丁捌きで縫製して例祭当日参詣者に頒布し、病気や災いをサケる護符又は風邪薬として名高い。【現地案内板より抜粋】THE FARM帰りに立ち寄りました。駐車場あります。境内は広く、社殿周りは大きな木々に囲まれています。疱瘡神社として名高く、近年のコロナ収束を願っての、新たな石祠が建てられていました。
御祭神と共に「鮭」も祭られています。近くに鮭が昇る南限の川として有名な「栗山川」があります。
いつ来ても落ち着く神社です。疱瘡神は以前よりありましたが、令和3年5月にコロナ神が増えているのは知りませんでした。ここまではっきり名前付けているのは近隣ではここくらいでしょう。
神社は手入れが行き届きとても立派で綺麗です。以前は関東近隣から講をくんでお参りに来ていたそうです。公共交通機関でお参りを考えると平日ですと小見川からもバスがありますが、土日祝は佐原からのバスだけで、お昼のバスしか行く便が無く、帰りは夕方です。冬なら真っ暗ですね。
極めてローカルな中集落、山倉。境内は広々としていて、鳥居からは昔の旅館風の建物も風情を醸し出す。
魚(鮭のようです)の絵が付いた“山倉大神”の看板をみかけて「魚の絵が描かれた神社の案内看板とは珍しいな」と思って行ってみましたところ、こんな目立たない場所にこれほど立派な神社があったのか!と驚かされました。
御祭神は高皇産霊大神、建速須佐男大神、大国主大神創建は弘仁2年(811年)、当時この地方に疫病が流行り手の施しようもなかったが、霊験あらたかな三神を勧請鎮斉して熱心に厄病退散の祈願をしたところ病魔漸く退散したとあります。大きな境内に入ると立派な社殿が見えてきます。駐車場は正面近くと脇にもあります。
名前 |
山倉大神 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0478-79-2706 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.9 |
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定例の祭り事が続いているよう。ご利益がありますように。