月真院で感じる御陵衛士の歴史。
御陵衛士屯所跡の特徴
伊藤甲子太郎が率いた御陵衛士の屯所として有名です。
月真院内に位置し、稲荷社が珍しい場所です。
新選組と対立した分派の重要な歴史を感じられます。
「御陵衛士屯所跡」2017年の家族旅行で立ち寄りました。御陵衛士屯所跡です。ここを目指してやってきたわけではありませんが、京都は見どころが多くてついつい足を止めてしまいます。
あまり新撰組に興味が無いので写真だけ撮して去ります。
新選組と対立していた元新選組が中心の組織の屯所です。新選組好きな人はここに来たなら油小路にある本光寺にも行くのも良いです。
御陵衛士の屯所などの史跡を巡ることは、京都観光の醍醐味ですけど…。せっかくの幕末期の歴史上の舞台も、現場ではまったく感傷的になることはありません。月真院の門前には史跡の歌碑の真横に変な仏像が…。いろんな場所にあるこの軽〜い観光ポイントに場違い感ありありです。門の中も観光客がはしゃぎまわって大賑わいですね。風情もへったくれもありません。歴史的な京都の雰囲気を無くしているのは、外国人観光客ではなく、彼らを呼び込もうとしている受け入れ側の問題ではないでしょうか…。
命をかけた活動が, 野心家の自己満コメントに貶められてさぞや無念なことでしょうね。どういう恨みがあるのでしょうか。気分が悪くなります。
高台寺の塔頭、月真院。御陵衛士の本拠だったことで有名。様々な思想が受け入れられず天誅などという言葉で美化され葬られた事は悲しいですね。色々あれど世の中を良くしたいという気持ちは同じだった筈ですが。
良く分からないが、月真院さんの門の一角に有りました。
伊東甲子太郎とその仲間たちが屯所としていた場所です。幕末の頃、このエリアで活動していたと思うと歴史の臨場感を感じます。
月真院~ねねの道にある御陵衛士(「高台寺党」)跡月真院(げっしんいん)は江戸時代初期、ねねの従弟 久林玄昌が開いた臨済宗建仁寺派の寺院で高台寺の塔頭の一つ。幕末に新選組参謀・文学師範だった伊東甲子太郎( いとう・かしたろう)ら15名が新選組を離脱して孝明天皇の御陵衛士を拝命して、ここ月真院に移って「禁裏御陵衛士屯所」の標札をあげて拠点とした。このため御陵衛士(ごりょうえじ)は「高台寺党」と称された。伊東甲子太郎は新選組組長 近藤勇の妾宅に招かれて謀殺され、その後の策略で藤堂平助らも殺されて(「油小路事件」)御陵衛士は解散した。「高台寺党」はわずか8か月間の歴史だったが、その存在と名前は多くの観光客が行き交う、高台寺「ねねの道」に今なお残っている。(FB友達 祝迫 一氏)
名前 |
御陵衛士屯所跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://ja.kyoto.travel/tourism/single02.php?category_id=9&tourism_id=222 |
評価 |
3.9 |
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伊藤甲子太郎率いる御陵衛士の屯所です。このあたりは新撰組に関する場所が多く、新撰組めぐりができます。私は新撰組が大好きなのでなんども巡り、想いを馳せました!