横浜の歴史が息づく 八幡橋八幡神社。
八幡橋八幡神社(滝頭八幡神社)の特徴
磯子区に鎮座する八幡橋八幡神社は地域との連携が深いです。
入口鳥居付近には東郷平八郎書の大きな板碑が存在します。
境内には歴史を感じさせる大きな欅や楠があります。
直書きの御朱印いただきました。543年(欽明天皇4年)8月、八幡川(現在の堀割川)河口近くの浜に正八幡像が着岸した。これを祀る神社が建てられ、それ以来根岸村の鎮守神になった。1651年、検地によりこの八幡神社を含む現在の原町一帯が滝頭村に編入された。鎮守の社を失った形となった根岸村の住民は白滝不動尊を鎮守と仰ぎ、滝頭村の住民にとってはこの八幡神社は元々よその鎮守であるため、祭礼などもおざなりに行った。1766年(明和3年)、住職の弘道の夢枕に八幡大菩薩が現れ、「我は根岸村民のもとに遷座したい。滝頭村と根岸村の二つの神社に分けてもらいたい」とのお告げがあった。弘道は両村の役人と話し合い、八幡神社を根岸村に移し、当地には新たな八幡神社を創設することとした。同年4月、それまでの八幡神社(根岸八幡神社)は宝積寺に仮遷宮。その跡地に、改めて滝頭八幡大神が建立され、密蔵院が別当となった。明治維新後の神仏分離により、密蔵院の別当が解かれた。1870年(明治3年)、本神社の西側を流れていた八幡川を拡幅し、中村川とつなぐ運河(堀割川)の工事が始まる。5.4m程の川幅を30mまで拡げる大工事で、境内が大幅に削られることとなった。安永の頃に建てられた社殿は老朽化しており、これにあわせて1872年に建て替えられた。1873年には社格を村社に定められた。1896年(明治29年)には八幡大神の名称を八幡神社に変更。1908年(明治41年)9月13日には無格社の整理統合により、広地町にあった稲荷社を境内に移した。1918年(大正7年)から1921年にかけて社殿を瓦葺にし、境内に狛犬や石灯籠をしつらえる整備事業が行われたが、それから間もない1923年に関東大震災に見舞われた。その修繕工事が完成した1926年には、東郷平八郎の揮毫による「敬神」碑が建立された。1930年(昭和5年)6月には昭和天皇即位を記念した御大典記念碑が建立された。1955年(昭和30年)には南側前面の道路(山下本牧磯子線)を拡幅して横浜市電を通すため、敬神碑と鳥居を奥に移設したとのことです。
磯子区八幡橋近くの川沿いから少し入った場所にある神社です。野球に関連があるかわからないですが野球のボールを彷彿させるモニュメントのようなものが境内にあります。神聖な雰囲気のある神社です。神社敷地沿いと釣り船屋の間に駐車場らしき場所があったので今回はそこに車を停めて参拝しました。
参拝者は 神社内に駐車場がありますよ(駐車可)昔からある神社で参拝者沢山お見えになります御朱印もあります。
90度の角の道路に挟まれた中にある。左と後ろに車が通る。街道の神社。昔も前の道を、鎌倉に向けて侍達が、川崎大師へ向けて村人達が通っていたのかな。やっぱり、鎌倉に近いから八幡様やねーと思ったら、徳川家康さんもお祀りされていた。源頼朝さんでなく?!なぜ家康さんもお祀りするようになったのか不明。家康さんが鷹狩りの時に立ち寄りでもしたのかな?
掘割川左岸の昔の河口付近にある神社、入口鳥居付近には東郷平八郎書の大きな板碑があり、境内には大きな欅や楠があり歴史を感じさせる。
(2023年1月)あまり目立たない神社ですが、いい雰囲気です。また、赤影の卍党編に出てくるような球体の謎に充ちた記念碑が素晴らしい。
町の小さな神社ではありますが、昔の地形から察するに海岸線沿いの神社で風光明媚だったのでは無いかと思います。説明が無かったのですがあの丸い物体は一旦何だったんだろうか。
神奈川県横浜市磯子区原町に鎮座する八幡橋八幡神社(滝頭八幡神社)の直書き御朱印を頂きました。創建は543年(欽明天皇4年)8月創建。すっごい古い。滝頭八幡神社と同じ霊を祀り上げる根岸八幡神社御縁起によると……根岸の沖合の根岸湾で黄金色の光が輝き音楽を奏でるような音が響き渡った。それが7日間続いたのち、八幡川(現在の堀割川)河口近くの浜に光明と妙音が着岸して黒光りする像が姿を現した。村の古老は「これは村を守るために遠い海から来た神様だ」と言い、ひとまず村の長の家に安置することとした。村の人々は代わる代わる像を拝みに来たが、その中の子どもが取りつかれたように「我は正八幡なり。里民の苦難を救うため千里の浪を漂って来た。着岸した芝原に社を建てて遷すべし」と言い終わると正気を取り戻した。こうして現在の八幡橋八幡神社の位置に八幡宮が建てられ、根岸村の鎮守神としてお祀りされることとなった。そして1651年、検地によりこの八幡神社を含む現在の原町一帯が滝頭村に編入された。これにより鎮守の社を失った形となった根岸村の住民は、白滝不動尊を鎮守としてお祀りするようになったが、滝頭村の住民にとってはこの八幡神社は元々自分達が信仰してきた鎮守ではなかった為、結局祭礼などもおざなりに行った。1766年(明和3年)、住職の弘道の夢枕に八幡大菩薩が現れ、「我は根岸村民のもとに遷座したい。滝頭村と根岸村の二つの神社に分けてもらいたい」とのお告げがあった。弘道は両村の役人と話し合い、八幡神社を根岸村に移し、当地には新たな八幡神社を創設することとした。同年4月、それまでの八幡神社(根岸八幡神社)は宝積寺に仮遷宮。その跡地に、改めて滝頭八幡大神が建立された。それから後は、神社の横を流れる掘割川の拡張及び中村川との接続工事により境内が大きく削られたり等あったが現在も同地で信仰されている。因みに話に出てきた根岸八幡神社、実は800メートルくらいしか離れていない。そんな距離なら鎮守がどうとか気にする事は無いだろ〜…と現代人の我々なら考えるけど、それだけ「境界」が「境界」として、行政的機能だけでなく、有機的機能を果たしていたのがよく分かる話。境内には大きな丸いボール状の物がお祀りされているんだけど特に説明が無い。あとで調べたら、周辺の漁民が奉納したブイなんだそうな。御朱印は境内表側から入って左手の社務所で授与しておられます。最寄り駅は京浜東北線(根岸線)の根岸駅です。
優しい雰囲気がする神社。
名前 |
八幡橋八幡神社(滝頭八幡神社) |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
045-751-5867 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.9 |
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根岸線も石川町を過ぎるとトンネルが続く。根岸の駅は、海岸段丘寄りの西側に出入り口があった。横浜の支店勤務していた頃まで遡っても、数回訪れたことがある程度だ。駅から16号線を左に折れ歩く、日本最初の民間飛行場跡?。戦前に南洋パラオまで飛んでいた❗❗驚きである。橋の袂の反対側にお社があり、古色蒼然とした佇まいは歴史を感じる。