木々に囲まれた落ち着きの空間。
羽成観世音菩薩堂の特徴
境内は手入れが行き届いた落ち着いた雰囲気で、訪れる人々を迎え入れています。
向かう途中には、羽成観音の案内看板が多数設置されていて迷わずたどり着けます。
昭和末期に訪れた時は、もっと樹木が鬱蒼としてたように記憶してますが、久しぶりに来たら、樹木が一部伐採されて🪚日当たりが良く、すっきりしてました。
木々に囲まれた、比較的手入れの行き届いた落ち着いた空間。真夏でも日光に当たらなければ涼しいです。(蚊に注意)
143号線(谷田部牛久線)を南下し、常磐自動車道を越えて、普賢院の脇の道路を 案内に従って進むと鬱蒼とした杜の中に鎮座しています。 羽成観音は常陸西国三十三札所の一つです。また、境内には鹿島神社が観音堂の横に祀られています。「谷田部の歴史」よると 文禄元年(1592)牛久城主由良国繁が谷田部付近の戦いで滅亡した岡見一族の霊を弔うために建立した八観音、七薬師の一つで、 観音像は板橋不像尊と同じ弘仁仏とも伝えられ、馬頭観音と呼ばれて付近農民の信仰を集め、 かっては、観音堂の周囲で草競馬などが行われたそうです。 また、観音堂の天井には、描かれた雄大な龍や天女の美しい絵画は、 谷田部藩の藩医広瀬周度の十六歳の時の作と伝えれらえれています。
境内にボランティアのおじさんが居て、整備が行き渡らないそうで、1人で掃除をして綺麗にしたそうです。立派な観音堂に鹿島神社が祀っていて、たくさんの観音、馬頭観音と呼ばれて信仰されたそうです。縁日にはたくさんの人が訪れるみたいなので、また伺いたいと思います。
それにしても、向かう途中、道路に羽成観音の案内看板がいっぱいあったなあ〜。
地元の観音堂。
名前 |
羽成観世音菩薩堂 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.2 |
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メイン道から集落へのクルマ一台分のくねくね道路を行きます。環境的には、山 ですね。今は住宅があちこち建てられ、森も切り開かれておりますが、ご在所は森の中。まさに森に秘せられた場所、と呼ぶにふさわしい。羽成(はなれ)観音、と読むそうです。天女の天井画がある観音堂で、常陸西国三十三札所第21番札所。開山は文禄元年(西暦1592年)、ご本尊は馬頭観音さん。傳によると、小田原攻めなど戦国末期、牛久城主となった由良国繁が、母・妙印尼の懇願で、近郷近在で討ち死にした霊を弔うために7観音、8薬師を建立。こちらはひとつ、とのこと。本堂の天井の天女画は、谷田部藩藩医・広瀬周度16才の作品といわれている。こちら実は駐車場側が本来の参道入り口でなく、反対側に幡台がある参道となっている。ところがこちらは、ほとんど人が通っている様子がないほど、あれている。足元に注意しながら降りてゆくと、深い樹々の先に明るく開けた場所がある。そこはまさに農道。こういうトリック的なつくりとは、驚きです。地元の方々のための観音堂です。取って返し、境内をじっくり見て回る。非常に湿っぽい環境。人によっては、ミステリースポットとか言い出しそうな感じ。時代の異なる石ほとけさま、手水鉢等、鹿嶋社などのお社が点在。人々の信仰が何世代も続いてきたことが、よくわかります。ひときわ目を引いたのは、樹の根が地面からすっと伸びて、板状になる、いわゆる板根を見ることができる。しかもそこに石ほとけさまが、食い込んでしまっているという、なかなか珍しい光景があります。堂裏の無縁さんたちもきれいにまとめられていて、大事にされていることがわかります。帰り間際、無縁さんたちとひとときおしゃべり。