安東氏の歴史を感じる地。
藤崎城跡の特徴
かつて奥羽に覇を唱えた安東氏の発祥地です。
静かな雰囲気の中で歴史を感じられます。
自然の中で歴史散策を楽しむことができます。
2022年3月28日に訪れました。藤崎城の起こりは、安東氏発祥と結び付いています。前九年の役で安倍貞任は、康平5年1062年に敗死します。貞任の次男であった高星丸は、家臣に匿われて藤崎の地に落ち延びたと言います。やがて藤崎の地に勢力を築き、寛治6年1092年に築城したと伝えられています。後三年の役を経て、奥州藤原氏の世となり、陸奥の奥地である津軽で「藤」原氏の「安」泰を護持するという意味では、安藤氏が正しいのかもしれません。近年の発掘調査により、奥州平泉で饗応に使用された須恵器が、この地からも出土し、奥州藤原氏との深い結び付きが伺えます。藤崎八旛宮は、藤崎城の東端に位置しています。神社裏手北側に土壕が残っています。平川に沿って少し下ると稲荷神社が有りますが、平川が街側に湾曲する場所が、本丸が有ったと推定される場所にあたります。
とくになんにもなくていいです。
かつて奥羽に覇を唱えた安東氏発祥の地です。
名前 |
藤崎城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0172-88-8258 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.4 |
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安東氏発祥の地。2023年9月24日来訪。1062年前九年の役で敗れた安倍貞任の次男、高星丸が津軽に逃れ、その嫡男安倍堯恒が1092年に藤崎城を築城し、拠点とした。以後子孫が安東氏を称した。その後安東氏は、日本海の重要港十三湊を支配して発展、福島城を拠点とした。安藤氏の乱を経て、建武の新政で安藤氏は南朝方に付くが、足利尊氏が離反すると、南朝方の福島城の下国安東氏と北朝方の藤崎城の上国安東氏に分裂、下国安東氏が勝利し、藤崎城と平賀郡の大光寺城を治めた。なお、上国安東氏は秋田郡に逃れ、戦国時代に至る。1443年、南部氏が津軽に来襲し、敗れた下国安東氏は蝦夷に逃れ、津軽は南部氏の支配下になった。〜wiki要約安東氏は、上国、下国の他、湊安東氏や檜山安東氏とかあって、難しいですね。藤崎城の跡地は神社の境内になっていて、土塁跡や堀跡がわずかに残る。安東氏ゆかりの方の墓もある。