印旛沼を見渡す臼井城の丘。
臼井城跡の特徴
上杉謙信が敗退した場所で、歴史を感じられる臼井城跡です。
印旛沼を見下ろす丘陵からの眺めが絶景で、風光明媚なスポットです。
地元の郷土史家の著作臼井城物語で、臼井城の歴史を楽しく学べます。
駐車場までが分かりにくいです。上杉と戦ったお城です。春は桜が綺麗な場所だと思いますので、春にまた訪れたいと思います。
上杉謙信が半生を費やした関東越山。だがここで快進撃が止まる。上杉謙信はここで臼井城の攻略に失敗し、成果があがらなくなってしまった。なぜこんな小城を落とせなかったのかと思うと不思議である。遺構は堀、土塁、土橋、切岸など。他にも太田図書の墓などがある。上杉謙信は第一時関東越山により小田原城を包囲したが、落とせなかった、しかし、数を重ねて出兵をして、関東を攻めるが、この臼井城の攻略の失敗によって、結果的に謙信の拠点は群馬県の厩橋城まで後退してしまった。というマニアックな城だが面白い話がある。土塁のボロボロ感がまた風情があってよろしい。初夏に行ったのだがもう草木が生い茂ってしまい、遺構がわかりづらくなってしまっていた。やっぱり夏に行くのが一番いいと思う。でも片側はとても草が綺麗に刈られており、遺構が見やすかった。御城印もしっかりゲットしてきました。マニアックだけど良かったです。皆さんもぜひ行ってみてください。周辺の城、観光スポット:佐倉城、本佐倉城、佐倉武家屋敷、ひよどり坂などなど…御城印は佐倉市観光案内所に売っています。(駅前ではない方)
12世紀、臼井氏が築城。歴代城主は臼井氏、原氏、酒井氏。かの上杉謙信が臼井城を攻略できず、上杉氏の南関東におけるプレゼンスが一気に低下する基となった城でもある。現地を訪れ、地元の方に伺うと、城壁は粘土質なので登り辛く、また堀も迂回堀なるものがあったとか。弟の図書を臼井城の攻防で亡くした太田道灌は江戸城を築城するにあたり、この臼井城の縄張りを参考にしたとの話も聞いた。
上杉謙信の生涯わずか二度の敗戦の一度の舞台。周辺に出城を多数構えた巨大な城郭だった。現在は、巨大な空堀が残るがジャングルと化している。
ここからの印旛沼を眺めるのは最高です。
周辺は宅地化されています。残っているのは二の丸、本丸のみ。二の丸から本丸に向かう土橋、空堀が見所です。本丸から北の印旛沼方向への眺望が良いです。
地元の郷土史家の方が小説風に仕立てた「臼井城物語」を読むと、楽しく臼井城の歴史を知ることが出来ます。神君・徳川家康公の江戸入府で三万石の大名となつた徳川四天王の一人酒井忠次の子・家次が領主だった文禄二年(1593)失火によつて焼失した臼井城はその後再建される事はありませんでした。
永久2年( 1114年)千葉常康が臼井にきて、臼井氏を名乗る。
天守閣🏯跡は草原で子供たちが遊んだり、虫取したりするのに最高です😌、そして そこから見渡す眺めも風光明媚で、特に西側には印旛沼が眼下に見渡せます‼️
名前 |
臼井城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
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上杉謙信が越山で敗退した城。この事により関東勢の信頼が薄くなり、北条氏が勢力を広げる。駐車場が分かりにくく、道路も狭い。地元の人達が散歩している憩いの場なんですね。