歴史ある 八幡社で御朱印。
臼井総鎮守 八幡社の特徴
1338年に臼井興胤によって創建された歴史ある神社です。
鳥居から続く石畳は神秘的で静寂感に包まれています。
美しい宮司さんによる達筆な御朱印が特に魅力的です。
佐倉市の神社散歩で参拝させて頂きました。掃き清められた参道と見事な拝殿と本殿をしばらく眺めておりました。直入れ頂いた御朱印が素敵です。
佐倉市八幡台団地内にあります。平日15時ごろ伺いましたが参拝客はおらず静かに参拝することができましたが、社務所は閉まっており御朱印を頂くことはできませんでした。入り口は南側の路地に入ったところなので分かりにくいです。
ご祭神は誉田別命(応仁天皇)創建は1338(歴応元)年、臼井城主中興の祖・臼井興胤による。厳かな雰囲気の参道が歩いていて気持ちよかったです。玉垣の中には長嶋茂雄の名前も(゜゜)(おそらく)神職の手書きの境内案内図に心が温まりました。
譽田別命(応神天皇)を御祭神とする神社で、暦応元(1338)年に臼井城主中興・臼井興胤(おきたね)公の創建とされます。建立当時に植えられたとされる推定樹齢140年のアカガシは『臼井台八幡神社の樹林』として佐倉市の保存樹(樹林)に指定されています。一の鳥居手前鎮守の森内に駐車場あります。
綺麗で神秘的な神社でした。鳥居から社までの道も美しく、社の脇にある樹木が圧巻でした。歴史的にも面白い場所。駐車場無料。
佐倉市周辺は城跡や古い神社がたくさん。こちらの八幡様も相当に。グーグルマップに従って車でお尋ねしたら、社殿脇の住宅地に案内されてしまいました…😅参道(車ほぼ1台分の幅)の鳥居横に駐車場がありますので、お尋ねされるかたはお気をつけて。2022年1月現在、神様には申し訳ないのですが、コロナ禍により手水舎が使用禁止となっております。せめてもと二の鳥居横に祓戸さまがあるとの案内(画像参照)があったので探しましたがその摂社は見当たらず、どうやら紙垂を注連縄で巻かれた「樹」が「祓戸さま」のようです。室町時代の初めに臼井氏により創建され、必勝祈願して出陣した、由緒ある神社とのこと。(臼井氏の歴史はなかなかドラマティック)御神木は、かつて江戸時代成田街道の名所の一つになっていたほどの大木だったとのことだが、枯れてしまって現在は根幹が保存されている状態。とはいえ「神霊の来格を祈って植えた」と伝えられているだけあり、なかなか。基本的に鎮守様なのでしょう。だから参拝されるかたは少なめです。が、常設の社務所(呼出し)にて御朱印をいただけるようです。御守の授与もされています。(御朱印コレクタでは無いので詳細は不明です)ネット検索して関連情報を読み、往時の景色を思い描きつつ、裏手の鎮守の森を眺めたり、鳥居横から臼井の見晴らしを眺めたり。本殿脇の「とんびの神様」が天狗様のようで、興味津々。いろいろ調べていて、境内にある末社?摂社?の「大杉神社様」に関係あるのかも??(大杉神社様の御眷属は天狗様とのことですから、もしそうであるならば鼻高天狗「ねがい天狗」様?)
現場の近くの神社みたいです。静かな場所です。
若く美しい女性の宮司さんに御朱印頂きました。力強くシンプルです住宅街のなかにある静かな神社で大晦日は近隣の住民、昔からの氏子さんで混みます以前は有名な野球監督がオープン戦前の早朝お参りしていました。佐倉市出身の有名な方です。花は春先のこぶしに始まり水仙、桜、ツツジ、柏葉あじさいと続きます。
ナビで行ったら、本堂の裏のご自宅についてしまいました。御朱印は書き置きでした。素朴と言えば素朴ですが…サイズが大きくて御朱印帳に入りませんでした。
名前 |
臼井総鎮守 八幡社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
043-487-3888 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.1 |
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『臼井総鎮守 八幡社』住所→ 〒285-0867 千葉県佐倉市八幡台2丁目1−1祀神︰誉田別尊御朱印:あり駐車場:あり備考:・創建は、暦応元年(1338年)。・臼井氏中興の祖、興胤公が足利尊氏に随って筑前(今の福岡県)の多々良浜で戦った折、宇佐八幡を念じ力戦奮斗、菊池武敏の軍を破り、還りて臼井に到り、暦応元年(1338)八月十五日領内の総鎮守として、この地にまつられました。・八幡社裏の山王社のそばには、めぐり五丈八尺余りの鬱蒼たる大楠があり、東へ九尺ばかり隔てて、めぐり一条余りの楠とで枝を以って連なり、天然の門状をなしていた。・その幹枝は、沼上に聳えて、天を覆い下枝を垂れて一奇勝となっていた。この楠も同じくこの時に植えられたものという。・この大楠の洞には大蛇が棲み、時々人を捕まえては食べていたという。・屈強な漁師・九右衛門を丸呑みしようとしていた凶暴な大蛇であったともされている。・漁師・九右衛門は大楠の下で昼寝をしていたところ、夢の中に老人が現れる。・その老人が起きるように言わなければ、大蛇に食われていた可能性が高く、夢の中の老人の正体は誉田別命だったとされているらしい。・幸い、漁師・九右衛門は目を覚まし、急いで現場から逃走することで生き延びることに成功した。・尚、九右衛門はこのことに心から感謝をして、家財道具を売り払い八幡様の一番好きだという立派な白馬を奉納した。・それから八幡社の祭礼には、いつも白馬が神輿の先頭に担ぎ出され、町内を練り歩いたという。今も何代目かの白馬が社殿に安置されている。・大蛇は何者かに退治され、その皮が、実蔵院にあったと伝えられている。・退治した人物は、現在も未だに不明となっているが恐らくは屈強な武人だったのかもしれない。・ちなみに、山王社の大楠は,嘉永六年正月(1854)の大雪を受け文久元年(1861)に至ってついに枯れてしまったらしい。・明治22年には里人により伐採され、樟脳の材料になったそう。・今も自然豊かな地にあるが、かつては老松、古杉とともに20本とも50本とも言われる大楠が生い茂り大樹林をなしていた。・明治維新以後わずかな境内を残して官有となり、その後民有となるも古株老幹は従らに伐採されて、社殿を中心とした鎮守の森のほかはその影をとどめていない。・駐車場は指定されてるわけではないが、鳥居の隣に大きな空き地がある、もしくは神社の裏手の方に駐めても構わないそう。・本殿の隣の方には、『とんびの神様』を祀る小さな祠がある。#神社#御朱印#結月大佐の御朱印さんぽ。