砂川闘争の深い歴史、ぜひ訪れて!
砂川平和ひろば ひろば食堂ふらっとの特徴
砂川闘争の歴史に触れられる、資料棟があります。
子ども食堂や学習支援を通じて地域貢献しています。
事前に訪問時間を確認してから行くことをお勧めします。
子ども食堂や学習支援をしています。毎月第一日曜日のお昼にパントリーと食堂を開いています。
反米左翼活動自画自賛。
砂川闘争の歴史資料棟です。以下ウィキペディアより一部抜粋。1955年3月、在日米軍は日本政府に対し、ジェット爆撃機の発着のためとして小牧・横田・立川・木更津・新潟の5飛行場の拡張を要求した。同年5月4日、調達庁東京調達局立川事務所長は砂川町長・「宮伝」こと宮崎傳左衛門に対し立川基地拡張を通告した。この話はたちまち町中に広まり、拡張予定地内関係者は6日に集まり協議して絶対反対を決定、砂川基地拡張反対同盟の結成を申し合わせ、8日に基地拡張反対総決起大会を開いた。これが町ぐるみの砂川闘争の始まりである。砂川町議会も5月12日に基地拡張反対を決議し、全議員が闘争委員になった。8月2日に砂川町基地拡張反対共闘会議が発足し、9月5日には砂川町基地拡張反対労働組合支援協議会(砂川支援協)に改組、砂川勤労者組合・東京地評・三多摩労協など51の労働組合と社会党左派・社会党右派・労働者農民党が闘争を支援するまでになった。しかしながら、9月には町議会内に条件闘争派が現れ滑走路部分の地下化や補償金支払いを要求、たたかいは亀裂を見せ始めた。
何も調べないで行ったら閉まってた。むしろイベントやる時だけ開けるのかもしれない。
名前 |
砂川平和ひろば ひろば食堂ふらっと |
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ジャンル |
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電話番号 |
042-536-3167 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.3 |
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砂川闘争の歴史資料棟?なぞ。スタッフと思われる人が居る時は、高級外車が停まっているので、お金持ちがなにかしているのだと思うが、立ち寄り難い雰囲気。