隠れた彼岸花の絶景。
熊野神社の特徴
市原市金剛地の神社には、歴史深い御神木のイチョウがあります。
彼岸花の時期には、静かな参道が美しい景観を提供します。
道が狭いため、訪れる際には大きな車に注意が必要です。
2024年9月20日、まだ、つぼみが多く時期には少し早かった2024年9月24日、見頃でした。
市原市金剛地に鎮座する神社⛩️雰囲気は良く、気持ち良く参拝できる。駐車場あります。
彼岸花は少し遅かったです、またここに至るまでの道程は大きい車は大変だと思います。
昔から地元の人達に祀られてきたのであろう、車で行くにはかなり怖い細い道を上がり、舗装されていないちょっとした広場に車を停めたら、神社の先に着いてしまったよう。両脇が曼珠沙華の朱に染められた参道は、下界とは空気が違う、神聖な空間。こんなに咲いてるとは知らずに、呼ばれたかのように辿り着いた熊野神社。曼珠沙華に圧倒され、ご挨拶をするのを忘れて下りてしまったので、また訪れます。
2021年9月23日訪問 彼岸花は半分位 終わってました。駐車場は神社前に有ります。Google Mapで来る時は 恐らく東側から案内されると思いますが 道が大変狭く崖が有り危ないです。西側に本宮寺が有りますので そちら側から来た方が安全です。本宮寺から先は マップに掲載されてませんが 本宮寺を過ぎて道なりに登ると神社鳥居に着けます。参考迄にマップを書いておきました。
樹高20m、幹回り8mの御神木のイチョウと静かな杜に佇む神社は心が落ち着きます。
伊邪那美命(いざなみのみこと)、速玉男命(はやたまおのみこと)、泉津事解男命(よもつことさかのおのみこと)を御祭神とする神社で、正暦3(992)年、当地に移り住んだ紀州・熊野村出身の滝本権之助信広が社殿を建立し、熊野権現を祀ったのが始まりと云われています。その後、天正14(1586)年に社殿を改築、近郷5ヶ所の鎮守として崇敬され、現在に至ります。境内には、昭和43(1968)年4月25日に市原市の文化財(天然記念物)に指定された『熊野神社の大銀杏』があります。東側からのアクセス路は狭すぎる(サイドミラーを格納しないと通れない+崖があり危険)ため、西側(本宮寺)からのアクセスを推奨します。神社前に十分な駐車スペースあります。
金剛地 熊野神社祭神 伊邪那美(イザナミ)命、速玉男(ハヤタマオ)命、泉津事解男(ヨモツコトサカノオ)命正暦3年(992)滝本権之助信広の創建と伝えられる。天正14年(1586)に土気城主酒井伯耆守泰治(康治?)が再建境内銀杏は、市原市指定文化財狛犬は安永2年(1773)に作られ、志津地区最古滝本信広は紀州牟婁郡熊野村の出身で、貧しく孤独な日々を過ごしていた。夢の中に紀州熊野の産神が現れた。信広は熊野に戻りご神体を得て、村の巽方に祀った。それが、現在の熊野神社であるという。産神が杖にしていた銀杏を社前に挿したところ、大きな銀杏に育ち今に至る。「金剛地」という地名について、上総国町村誌は概ね次のように記す。康保3年(966)慈恵大師紀伊熊野に詣でたとき神が十万の金剛童子に化現したことに因み村の名とした。
狭く暗い山道の参道を進むとある地元民の為の神社。お乳の出が良くなる謂れのある大銀杏は圧巻。
名前 |
熊野神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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場所がわかりにくいが風情があって良い。今年は猛暑のせいで開花が遅く、行ったときも満開手前だった。