静寂に包まれた歴史の跡地。
富津元洲堡塁砲台跡の特徴
東京湾を守るために築かれた歴史的な要塞跡です。
明治時代の戦争遺跡である貴重な公園です。
28サンチ砲の跡が現存する静かな場所です。
2023年9月27日40年ぶりくらいに散策してみました😃あれっ、こういう景色だったっけ・・想像以上に新鮮でした✨中の島には私以外誰もおらず、少し怖いくらいでした。戦争遺跡が風化することなく、でも手を入れ過ぎず、とてもいい感じで管理されてました。今日はまだまだ30度越えの気温でしたが、もし散策される場合は、ぜひ長袖、長ズボンがよろしいかと思います。整備されているとはいえ、草が長く生えている小道も多数あるし、クモの巣も避けながらのアドベンチャーです❗️あ、帽子と手袋、クモの巣払いの小枝をゲットした方がいいですよ(^-^)/雰囲気は「ラピュタ」です❗️
こちらにも展望台あり。公園は、歩道や芝生、池も整備されていて、岬の展望台だけでなく、こちらにも寄ってよかった。砂州の形成過程でできる中央部の池で、今は淡水とのこと。大潮のときには水路を通じて、海水も入り込むらしい。大変勉強になりました。今度アド街にも出るらしい。
水堀に囲まれた静かな戦争遺跡です。かつてあった砲は取り除かれ砲座跡を残すのみ、掩体壕など地下施設も埋められ通気口がその存在を示し、地上構造物もコンクリートで覆われ展望台が建つなど改変を受けていますが、逆に往時の姿を想像する楽しみがあるのではないでしょうか。この砲台の周囲を覆う防風林の中にも遺構が幾つか点在しています。
静かでのんびり歩ける公園でした。園内の案内地図をもう少し増やしていただこると、助かります。
復元してくれたらいいのに❗️
貴重な戦跡が残っている素晴らしい場所でした。弾薬庫の中に入れました。
東京湾に侵入せんとする敵艦を撃退するために、湾の最も狭くなった箇所に築かれた明治時代の要塞跡です。日露戦争で旅順要塞攻略に使用され、ロシアを震え上がらせた28サンチ砲を据付けた長円形の窪みが現存しています。対岸の三浦半島にある観音崎砲台と、海上に築いた人工島である第一・第二・第三海堡もあわせ東京は鉄壁の防御を誇りました。明治当時は大砲の射程がせいぜい7キロメートルしかなかったので、東京湾を閉塞するには数多くの砲台や海堡が必要とされたのですが、大正に入ると大砲の性能が飛躍的に向上して射程が20キロメートル以上となり、対岸まで届くようになりました。そのため陸軍では維持管理に費用のかかる旧式砲台は、無用の長物として大正時代に整理してしまったためココも対象となり、大砲も外されて以後は火器の実験場として使われていたようです。こういう軍関係の遺構は戦後に壊されてしまったものが多いので、良好な状態で残っているここは非常に貴重かと。
地形を除くと、要塞を感じる部分は少なかったかなと思います。
砲台跡の下にある煉瓦造りの場所には入れない。煙突があるのに、勿体ない。
名前 |
富津元洲堡塁砲台跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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巨大臼砲を備えた旧海軍施設跡。といっても大砲の模型があるわけでもなく、土塁石塁しか残ってない。周囲には水堀があり、大きな鳥や亀が生息してる。石塁に囲まれた凹んだ箇所が、臼砲が設置された場所か。なぜかトイレがある。石塁の上には展望台があり、見晴らしがいい。駐車場からすぐ近く。目新しい発見があるわけでもなく、戦跡マニアなら数分楽しめるくらい。