青菅山不動院で歴史を感じる。
真言宗豊山派 正福寺の特徴
竹林の中にひっそりと佇むお寺です。
多くの人に訪れない静かな場所にあります。
真言宗豊山派の歴史が感じられる貴重なスポットです。
青菅山不動院正福寺は佐倉市青菅にある真言宗豊山派の寺院です。本尊は不動明王。無住寺で、本寺及び代務寺院は稲野山千手院金剛盤形寺(佐倉市井野)。文政年間に最後の住持であった尼僧の智誓比丘尼(?)が遷化されてから、本寺である千手院が代務することとなったようです。青菅村出身で、幕末から明治にかけて教育者・歌人・書家・製茶業経営者として活躍した小島勘十郎義精(号:小島泰堂)一族の墓所があります。
A temple that stands alone in the bamboo forest. Unfortunately, I think it is deserted most of the time.
真言宗豊山派のお寺。
真言宗豊山派のお寺。
名前 |
真言宗豊山派 正福寺 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.2 |
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少々荒れた状態も見られる寺ですが歴史がある所です。享保年間から昭和に至る十九夜塔(子安観音)が見られます。また、墓所には、この地の教育者である小島泰堂の顕彰碑(墓誌)が立てられています。以下に、その碑文と意訳を示します。(誤りがあるかもしれませんので気が付かれた方はご指摘下さい)泰堂先生墓志明治二十四季予寓于印旛郡青菅里弉里人相交毎語及故泰堂小島翁事其耆老曰某得知経地租田之事杳泰堂翁上遺恵也其壮者曰某得読書識字者泰堂翁之遺訓也芻叟販婦亦嘖ニ穪翁之遺徳不己予以為翁豈有大過人者矣乎何其得人此之至此之既而聞其子孫及門人之言又読其遺書而後知翁果有其實也因為上記曰翁諱義精姓小島氏青菅里人泰堂莽號也初稱勘十郎後以號行考諱義照妣清宮氏天保九年翁游干佐倉學仁儒臣吉見頼寛數季而還嘉永四年為里正四季為五郷取締役安政二年為佐倉近治各邨取締頭役皆佐倉藩侯下命也三年更為組合三十三邨大総代役當時舊幕府派遣吏員検察各州民俗謂之関八州取締翁蓋隷上也五季正月以各邨総代賀正藩矦于江戸邸侯賜物労之當時取榮也翁性精敏勇収敢為能勤于事最留意以農産又以教導子弟為己任萬延元年上書以藩侯絛陳殖産興業方漉數十事為侯坏嘉納翁以為言亡坏如躬行之族是損資墾闢里中官林荒蕪地三町餘以為場圃納之藩侯ニ大嘉之厚有賞責益異斅也既而渡開拓其私地二町許遍蒔臥茶因説郷黨隣里廣種藝茶至今近郷名于茶香益翁功居多云文久元季興家塾于江戸八丁堀下惟授徒明治十三年又營學舎于私地子弟及門者前後千有餘人翁能蜀文賎詩又善書ニ有大乗院之風又嗜國雅遺稿若干巻藏諸家翁生文政十一季没明治廿二季得年六十二葬于里中之尭域配湯浅氏生三男三女長子勘十郎嗣家先没二子忠次郎出嗣奥津氏三子浦次郎亦出嗣渡邊氏三女一適石井太助一嫁福田甚藏一早天翁没無嗣以忠次郎之二子健蔵承後裔項者門人相謀欲勤石記其恩乞予文予素不文不敢當然予本仕佐倉與翁同郡而令取寓則翁之故宅也取業則翁之遺志也義不得固辞焉乃橡詮叙以表于墓遺云状明治二十三季八月 舊佐倉藩學都講 東京西深譔幷書意訳明治24年(1891)、印旛郡青菅村の里人は亡くなられた小島泰堂翁のことを語り合っていることを知った。知識や地租田畑のことを知ったことは泰堂翁のお陰であり、書を読んで知識を得る事を勧めておられたことなどを。子孫や門人、また残された書を読んだ人は翁のことを知るだろう。翁は諱を義精、姓は小島氏、号を泰堂、という。勘十郎と称していた若いころ、天保九年(1838)より数年の間佐倉藩の藩校で吉見頼寛に学び、嘉永四年(1851)に里に戻る。その後四年間、五郷の取締役を務め、安政二年(1855)より藩命にて佐倉藩近傍の村々の総取締役となり、さらに三年間三十三か村の大総代となる。当時、幕府は関八州取締役という官吏を派遣していたのでそれに従っていた。五年間、正月には各村の総代が江戸藩邸の佐倉侯(堀田氏)に新年の挨拶に赴き褒美を給わっていた。翁は有能でよく働き農産の振興と共に子弟の教育にも力を注いだ。万延元年(1860)、上書をもって殖産興業の方法数十箇条を示して受け入れられ、荒れ地や山林三町分を開墾し、田畑として藩に納め賞賛された。二町分を私有地として開拓しお茶などの栽培を始めた。文久元年(1861)、江戸八丁堀で家塾を始め、明治13年(1880)にはこの地で学舎を営み、子弟門人は千人余りを数えた。翁は文政十一年(1828)に生まれ、明治22年(1889)に六十二歳で没しこの里に葬られた。湯浅氏と結婚し、三男三女を設けた。長男勘十郎は先に没し、二男忠次郎は奥津氏を、三男浦次郎は渡邊氏を継いだ。娘は石井氏と福田氏に嫁いだ。翁亡き後、忠次郎の二男健蔵が後を継いだ。門人たちが相談して翁の恩に報いるべく元の主の佐倉侯の文を給わろうとしたが固辞されたので、この遺文を記した。