平将門を祀る静寂の社。
日秀将門神社の特徴
日秀将門神社は、平将門を祀る神社として有名です。
手賀沼近くに位置し、静かで落ち着く場所にあります。
住宅地の中にあり、整備された綺麗な神社です。
きれいに管理されています。石の祠だけだった所に平成28年に拝殿が建てられたようです。
日秀(ひびり)将門神社 我孫子市当神社の祭神は名前の通り平将門です。明治41年に水神社(祭神は水波賣命)を合祀して将門社から将門神社となりました。(ヤシロからジンジャに大きくなったと思われます)この神社の創建は、将門の戦死した940年頃と伝えられています。当地、日秀は平将門が幼少のころ過した地で、承平2年(932)には軍用に供したと伝える古式の井戸も掘られており、平将門の三十三回忌に沼南町岩井に将門神社が祀られたのを機として、所縁のある地に将門神社が祀られるようになったと伝えられています。当社はその一つだと言われてます。車は神社入り口の右手に駐車できます。
御祭神は平将門手賀沼周辺に点在する平将門を祀っているうちの一社かつては平親王七騎大明神と呼ばれていたそうです。創建年代は不明、天慶3年(940年)の平将門の死後まもなく遺臣が創建、明治四十一年(1908年)に字掘込にあった水神社を合祀して将門社から将門神社となったと伝わります。日秀は、平将門が幼少時を過ごした地と言われており旧日秀村では桔梗を植えない・胡瓜は輪切りにしない・成田山新勝寺には参詣しないと平将門の伝承を色濃く残しています。とても静かな場所で駐車場は鳥居の右側にあります。
畑と住宅に囲まれた丘陵地の森に鎮座し、平将門を祀る神社御神祭は平将門公明治四十一年(1908)に字掘込(ほつこめ)にあった無格社水神社(祭神は水波賣命)を合祀して将門社から将門神社になりました。将門の母の出身地が相馬郡で、現在の茨城県南西部、柏市の一部と我孫子市・手賀沼周辺で、そのため将門公も母の出身地である相馬郡で育ったことから「相馬小次郎」を称していた事もあったという言い伝えがあり、柏市の北部側や我孫子市など手賀沼周辺に、将門伝説が残る地が点在しています。神社の近くに将門の井戸があります。御朱印は、中峠伊勢山天照神社で頂けます。
この周辺は平将門関連の史跡が集中しています。地元の人達が「おらが町の英雄」として大事に守り保護してきたからです。将門が反乱を起こしたのは矛盾だらけの中央政府に対してであって、民衆ではないですからね。将門の本拠地は茨城県猿島郡ですが、この日秀も鎌倉街道が通り、神社のすぐ横の特別支援学校は郡衙(役所)の跡であり重要拠点の一つだったのでしょう。近くには将門の守護仏を納めたという日秀観音もあります。地元の将門愛は徹底していまして(笑)。戦時中、千葉で外地に出征する部隊は無事な帰りを祈って集団で成田山をお参りするのが恒例でした。しかし成田山は元々は平将門を調伏する為に造られた施設という経緯もあって、「そんな所に参拝できるかい!」と言う訳で陸軍も折れて、地元の我孫子大隊は免除されていたそうです。この伝統は今でも続いていて、日秀観音には「成田山を見たくないから」という理由で首を傾げた地蔵様が道路に向けて安置されています。近くですから、こちらも是非見学して地元の将門愛をお確かめ下さい。(笑)(写真追加しました。)
静かにたたずんでいました。
ポストのような賽銭箱が面白いです。
素敵な神社です。
スゴく小さな場所ですが、とても手入れがされている不思議な場所です。熱心な地元の方々が綺麗にしているのでしょうか。駐車場はないので、目の前に路駐してしまいました。車はあまり通りません。下の方に井戸もありますが、完全に朽ちていました。なんか、もったいないです。1000年以上も前に活躍された方の功績(?)がどんどん廃れていきます。少しでも参拝者が増え、神社に残るお賽銭が増えれば少しは違うのかなって思います。
名前 |
日秀将門神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.9 |
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手賀沼近辺をバイクで走っていると案内看板が目に止まり寄ってみました。この辺りは色々な所に将門関連の場所が有り、地域で大事にされているんだなぁと思います。こちらも駐車場が設営されていて、車でのアクセスも問題無しです。今回初めて知りましたが、家紋が自分と同じなので親近感が湧きました。