木野崎城跡で歴史探訪を!
木野崎城跡の特徴
徳川家康から賜った幸手一色氏の城跡です。
歴史的背景を感じながら散策できる場所です。
木野崎にある風情ある景観が魅力です。
城跡はほぼ私有地ですが周りの道路側から土塁?のようなものが確認できます。標柱が立っている場所はかなり道幅が狭いので注意が必要です。
遺跡の碑と簡単な説明のみこれより先は私有地。
碑に解説文が記されていました。農作地と家屋がありますが、遺構らしき物は見えませんでした。
なんとなく堀跡かな、堀切跡かなという地形があるが、民家がありなかなか探索しづらい。
幸手一色氏が徳川家康から賜ったという城跡。現在は宅地や農地になっており、周辺に残るわずかな遺構と碑のみがある。
| 名前 |
木野崎城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP |
http://www.city.noda.chiba.jp/shisei/profile/bunkazai/meisho/1000794.html |
| 評価 |
2.1 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
【城巡り】◉城跡 木野崎城 📍千葉県野田市高家一色氏の2人の末裔が築🏯したとされる「木野崎城跡」を探究しました。9時16分に標柱がある木野崎城跡が形成されていた島状の土地周辺から一色数馬が自害したとされる真福寺跡を探究しました。🏯木野崎城標高6m、南北約350m、東西約180m程の島状の台地があります。☆分類・構造平城☆築🏯主一色数馬・一色義直?☆築🏯年天正18年(1590年)?☆主な城主一色氏☆主な改修者なし☆廃城年元禄11年(1698年)☆沿革木野崎地区の利根川に面した一面に、島のように孤立した台地があります。字名を「城下」、その周辺には「新町・下町・本郷・下屋敷」などの地名や「大門・倉庫・水牢等の跡」と伝えられている所もあり、市内で城下町が形成された唯一の場所となっています。🍙野田市HP☆一色氏木野崎城主と伝えられている一色氏の系譜は、三河国幡豆郡一色に住んでいた一色公深から始まります。一色公深は弘長3年(1262年)10月23日に誕生し、元応元年(1319年)に下総国下河辺ノ庄田宮(現在の埼玉県幸手市)の新地頭職に補されて、幸手城を築きました。その後、一色氏は領地代えで下総の小文間(現在の茨城県取手市)、次いで木野崎村へと入り、この地に守護神の「荏柄天神」を祀ろうと社殿を造営したとされています。☆一色数馬木野崎城の築🏯年月については不詳ですが、その頃木野崎城には一色の流れを汲む一色数馬なる者がいました。天正18年(1590年)に豊臣秀吉による小田原征伐の頃に木野崎城は落城、数馬は祈願寺であった真福寺(現在の野田市大殿井)にて自害したと伝えられています。最近の調査では愛知県新城市神社から、元禄11年(1968年)に木野崎村から一色数馬直興なる人物が長篠村(新城市)に移り、神社を建てた事が記された棟札が見つかっています。☆幸手城城主 一色義直豊臣秀吉による小田原征伐の頃、義直は北条氏の配下となっていましたが豊臣軍が岩槻城(埼玉県さいたま市)を包囲していた浅井長政に内通し手柄をたて後に徳川家康に5160石を与えられ安堵しています。後に木野崎城へと転封する事となり、元禄11年(1968年)三河国設楽郡鳳来町(埼玉県新城市)に転封となり、木野崎城は廃城となりました。石高から推測すると城ではなく陣屋規模の物ではなかったかと思われます。家臣であった青木氏は木野崎に残り今でも城郭跡付近には青木姓の家が多く残っています。◉感想/ルート千葉県野田市木野崎地区にある城跡、長閑な水田地帯(遠い昔は沼地)ある小さな台地上にあります。台地の周りにかなり狭く浅くなってしまっていますがぐるりと1m程の幅がある水堀が残されています。小さな坂を登り台地へと続く道を歩くと木野崎城址の標柱がある交差点となります。この標柱から更に東側へと70m程歩くと天満宮へと入る道となり、その道を80m程歩けば天満宮付近の道沿いに僅かばかりの土塁らしき遺構が確認出来ます。実際に確認出来る遺構としてはほとんどありませんが木野崎城の情景と歴史を垣間見ることが出来ました。ありがとうございました。◉所在地野田市野崎字下町付近◉アクセス🚊東武鉄道東武野田線(アーバンパークライン)梅郷駅東口から5.0Km、徒歩1時間15分位。