黒男神社のイチョウと歴史を探る。
黒男神社(くろどんじんじゃ)の特徴
神功皇后ゆかりの神社で、御祭神は武内宿禰です。
トリアス久山の西側、片山の麓に鎮座しています。
小さな神社ながら、鮮やかなイチョウを楽しめます。
不思議な(原文)神秘的。
『くろおじんじゃ』でもなく、『ブラックジャックじんじゃ』でもなく、『くろどんじんじゃ』。コストコ久山倉庫の左裏側、牧のうどんや一品香食品側から来たらベスト電器久山の手前の道を入り、新幹線高架まで進むと左奥へ進む道が見える。高架をくぐって左側の山田揚水場を猪野川沿いに回ると到着。武内宿禰を祖とする一族が今でも守っている様子。猪野川を挟んで車が走っているのが見えるが、新幹線が通る時以外は静かな場所で有る。
黒男神社(くろどんじんじゃ)は、トリアス久山の西側の山陽新幹線と猪野川に挟まれた片山の麓に鎮座している神社です。入口が凄く分かりにくいです。御祭神は、神功皇后に使えたことで有名な武内宿禰です。武内宿禰は第8代孝元天皇の御孫の屋主忍男武雄心命の御子で第12代景行天皇の御代より成務、仲哀、神功、応神、仁徳の6代にお使えした名臣で、百司を統べ、万機を司る国家の棟梁でした。武内宿禰を大将として兵士がこの山に陣を張ったことから、「かため山」となり,それが「片山」となったと伝えられています。武内宿禰を祖と仰ぐ一族である阿部氏が社をつくり「黒男神」と唱えたと言われています。かつては本殿・拝殿・玉垣・石鳥居などを完備していましたが,天正14年(1588年)、薩摩兵が立花城を征した時に焼かれたと伝えられ、その後、阿部氏によって文政8年に本殿を再建されました。明治時代に入り、玉垣と鳥居も再進されました。咳を治す神様としても信仰されています。毎年2月29日は祈念祭で、6月29日は全氏人の祭籠です。
黒男は、くろおではなく、「くろどん」と読みます。時は1800年ほど遡ります。熊襲征伐のため筑紫に来られた第8代 仲哀天皇が、現在の香椎宮で突然の崩御。その理由を知るために神託を求めた神功皇后が、此処から近い、現在の斎宮に七日七夜籠られました。その際、敵襲を恐れた竹内宿禰と武渟川別命が、当時唯一の交通路であった川の畔に聳えるこの山に陣を張り、以来この山を「かため山」と呼ぶようになり、それが現在の「片山」という名へと変化したとのこと。さて、この時、武渟川別命と地元の娘との間に子が生まれ、その子孫が近隣で繁栄し、阿部氏の祖となりました。そして数十年後、第12代景行天皇の御代より成務、仲哀、応神、仁徳の5代に仕えた名臣 竹内宿禰の薨去を知った同氏人達が此処に社を建立し、大臣の御霊を祀りました。以来、連綿と1800年に亘り(薩摩兵が立花城を征した折に兵火にかかって焼失、以後何度も災禍を経た後、文政8年に本殿を再建、明治に入って玉垣と鳥居を再建)現在に至るまで祭祀は続いている様です。小さな御社ですが、此処に佇むと、黒い武具に身を包んだ古代の武人達がこの山に陣を張り、川筋に目を光らせ防備を固めている1800年前の様子が脳裏に浮かびます。直ぐ横を新幹線が通過すると我に返りますが(笑)
御祭神武内宿祢山田の斎宮に行宮を遷した皇后を守護するために武内宿祢が陣営としたかため山に鎮座する。現在は片山と呼ぶそうだ。周辺の開発やすぐ脇を走る新幹線など地形的な変化はあると思うが香椎宮から当社を経て山田斎宮から遠見岳・伊野天照皇大神宮に至るそれは当時の情景をまだ描きやすいほうだろう。ちょっと頑張って遠見岳(神路山)に登ると当時の斎宮を中心とした陣営を良く理解する事が出来る。
とても小さな神社ですが、賽神は佐賀県武雄市の武雄神社と同じ武内宿禰です。
ここのイチョウが大好きです。
名前 |
黒男神社(くろどんじんじゃ) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
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神功皇后ゆかりの神社⛩️御祭神は武内宿禰。境内は小さいながらもきれいで、御神木である銀杏の黄色が素敵でした(*^^*)場所は分かりにくいのですが、車の場合は、トリアス久山のコストコ裏側から新幹線の高架を抜けると車を停めるスペースがあります。公共交通機関で行くのであれば、西鉄バスで天神か呉服町のバス停からトリアス久山行きに乗るか、JR篠栗駅下車し篠栗駅南口からコミュニティバスに乗り換えトリアス久山で下車し、徒歩で5分程度で着きます。#神社 #神功皇后 #武内宿禰 #銀杏 #久山町 #福岡県。