歴史を感じる空堀と土塁。
久慈城跡の特徴
1562年に相馬氏が攻撃した歴史的な城跡です。
意外と見応えのある空堀と土塁が残っています。
昔のお城の口跡がしっかり見つかるスポットです。
川沿いから山道に入り、左手に特養を見ながら進むと、右手にコンクリート道があってそこにあります。右手に気づかずそのまま上ると、共同墓地がありました。
築城年は不明ですが、1562年に相馬氏から攻撃を受けた時の城主は宇佐美三九郎だu0000ったとの事です。場所的に水軍城だったのでしょうか? 因みに案内板や遊歩道等は一切なく、自然のまま残されています。当然私は藪の中…途中で引き返しました。帰り際に地元の方数名にに聞いてみましたが、ここにお城があった事は誰も知りませんでした。(^o^;)
意外と立派な空堀tと土塁が残されている。
昔のお城の口跡が見つかる所。
名前 |
久慈城跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
2.9 |
周辺のオススメ

築城年代は不詳ですが,宇佐美三九郎が城主であった永禄5(1562)年,相馬盛胤の攻撃を受け落城。その後佐竹氏が奪還し,慶長年間(1596-1615)には北義憲(佐竹北家)が城主であった。1602年の佐竹氏の秋田移封によって廃城となった。久慈城は南側は茂宮川,東側は久慈川(当時の久慈川は太平洋沿岸沿いに北から南へ流れていた。ちょうど国道245号線あたりが久慈川)に囲まれた要害の地にあり,佐竹氏の水軍城であったとの説があります。アクセスは,茂宮川沿いの南側道路から坂道の狭い道路を北へ登ると,突き当たりが舟戸山共同墓地です。墓地の手前東側あたり(本当は墓地を含めもっと広いでしょうが)ですが,当然ながら藪また藪ですので,根性が足りずちょっと入ったところでUターンしました。