源頼家の必勝祈願、稚日孁尊の神社。
手子后神社の特徴
祭られている稚日孁尊は生田神社の神とのことです。
奥まった場所にあるにも関わらず、しっかりした神社です。
手子后神社は神栖市と関係があるようです。
由緒板によると創建は不明だが、源頼家が後三年の役(1083)を平定する為に、軍を率いてこの地を通りかかった時に、こちらで必勝祈願をしたと云われているそうです。ご祭神は稚日女尊。境内には草薙・別雷・富士・愛宕・素鵞神社が祀られていました。あまり見かけない茅葺き屋根の本殿が印象的でした。(◔‿◔)
木々が多く静かで穏やか、本殿の屋根が二重になってるのが珍しい。神社へ行くまでの道が細いので(車一台分)気をつけよう。
神栖市にある手子后神社と関係があると思われるが、祭られているのは稚日孁尊で本来は生田神社の神らしい。どこかで主要な祭神が入れ替わり、名前だけは残ったのか。境内は思ったよりも広く、樹齢300年以上のサワラが現存することから、江戸時代中期にはすでにあった模様。特に本殿は瓦葺きで、なかなかの威厳がある。地域の神社としてはかなり贅沢な部類に入るように思う。車で入っていけなくはないが、普通乗用車だとやや苦しいかもしれない。
御祭神は稚日孁尊。創建年代は不詳だが,鹿島郡東下村羽崎(神栖市波崎)の手子后神社から分祠された。永保2(1082)年,源義家が東征(後三年の役)の途中に当社で戦勝を祈願した際,軍兵が弓の先で沢を突いたところ清水が湧いたので,兵たちは喉を潤したそうです。訪問時は知らなかったのですが,神社の裏手からその御手洗の泉へアクセスする小径があった(そういえば,草の道がったような)そうで,再訪の時は是非訪れてみようと思います。手子后(てごさき)神社へのアクセスには,対向車が来たら田圃にボトンと落ちるしかない狭い道路を不安に駆られながら進むしかありませんが,到着してみると思いもかけぬ大社でした。深い鎮守の森に囲まれた広い境内は手入れが行き届き,なんと宝物庫まであります。中には貴重な古文書が収められており,正保4(1647)年から明治20年代まで801点もの文書(石川村年貢小割付帳など)で,水戸市史完成に貢献したそうです。拝殿の裏に回ると,ネットで囲まれた茅葺きの見事な御本殿があり,いったいいつ頃の建立でしょうか...。静寂な御神域には,神聖な雰囲気が漂っておりました。
奥まった所にある割にしっかりとした神社でした。
| 名前 |
手子后神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP |
https://www.ibarakiken-jinjacho.or.jp/ibaraki/kenou/jinja/01054.html |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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水戸市元石川にある手小后神社に行ってきました。下記はネット情報です創建は不明です。西暦1500年代半ば(織田信長羽柴秀吉の時代)には、すでに神社の記録が残されています。永保三年(1083)に東北地方で起こった、後三年の役(ごさんねんのえき) を平定するために源義家(みなもとのよしいえ)が軍を率いてこの地を通りかった折り、この神社で戦勝を祈願しました。その時にある兵士が弓の先で 境内の沢を突いたところ清い水が湧き出し軍兵どもの喉を潤しました。それが現在境内の下の沢にある御手洗です。その後、義家が大任を果して京に戻る途中に立ち寄り国家鎮護のために西の方にある京の都を向いた社を造営したという話が、伝承されています。様々な記録は幾度かの戦乱・火災や領主の交替等で失われてしまいました。