武田の戦士たちを偲ぶ塚。
信玄塚(大塚)の特徴
長篠の戦いで埋葬された武田軍の戦死者が眠る塚です。
設楽原合戦の供養塚として歴史的な価値を持っています。
毎年8月15日の火おんどり祭りは圧巻で迫力があります。
火おんどりの舞台となる場所。同じ敷地に他に戦没慰霊の塔や、一般のお墓もある。
火おんどりで有名な、設楽原合戦の供養塚になります。一説には信長公が、設楽原合戦当時、既に亡くなっていた信玄公の名前をつけて、武田家の終わりを印象付けたともいわれるそうです。
両軍の戦没者1万6000人を葬った場所だそうです。
☆信玄塚(大塚)…中々立派な塚、信玄名の由来は不明、武田軍の戦死者を弔った塚との伝承、本当の詳細は不明😅実際、武田方約10000人の戦死者数とも、武田勝頼本陣近く、武田方が両翼を広げたような陣形の中心にあり、これだけ大きな塚は稀、これも歴史の1ページですか🤔それと周辺一帯を「信玄台地」と地図に記載、いつ頃から信玄台地って呼ばれていたんだろう、長篠設楽原の戦いは1575年で信玄死没年は以前の1573年、その謂われ如何に⁉️
1575年、長篠の戦いの戦死者を埋葬した塚とされる。塚は2つ築かれ、その上には松を植えて、武田軍を弔った方を大塚、徳川・連合軍側の死者を弔った方が小塚と呼ばれたとも伝承される。また、これを信玄塚と呼ぶようになったのかは、諸説あって不明である。さらに、この塚から発生した蜂を退治するため供養を行ったことが、火おんどりの始まりとされる。
長篠設楽原合戦の戦没者供養の塚と伝わり、大塚と小塚があります。設楽原合戦史料館のすぐ裏手にあるので史料館見学後に訪れてみてはいかがでしょうか。
設楽原の戦いでの武田方の戦死者を埋葬した塚。徳川方は小塚。
安らかにお眠り下さい(_ _)
長篠の戦いの勉強ができました。
名前 |
信玄塚(大塚) |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
http://www.city.shinshiro.lg.jp/index.cfm/8,20971,149,722,html |
評価 |
3.8 |
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訪問日 2024/9/20天正3年(1575年)の長篠の戦いの戦死者を埋葬した塚だそうです。近くには「小塚」もあり、武田軍を弔った方が「大塚」徳川軍を弔った方が「小塚」と伝わります。また、この塚から発生した蜂の退治と供養の為に行われた舞が「火おんどり」の始まりとされます。