静かな落ち着き、洲宮神社。
洲宮神社の特徴
安房神社への参拝中に立ち寄る歴史ある神社です。
拝殿前の大銀杏が印象的で落ち着ける雰囲気です。
創建は神武天皇元年、安房開拓神話に由来しています。
洲宮神社は安房開拓神話にまつわる神社で、安房神社の祭神である天太玉命の后神、天比理乃咩命を祀っています。そのためか、 神社に伝えられる縁起では忌部一族による安房の開拓や、 安房神社、 洲宮神社、 下立松原神社の創建の由来などが語られています。本文のうち3分の1は、失われた 『安房古風土記』 ではないかと推定されています。この縁起の成立年代は不明ですが、 『古語拾遺』 (807年成立)からの引用があり、 平安時代以降と推定されます。別紙とな っている奥書に、 慶長2 (1597)年に虫食いのため元の本から写したと記してありますが、現存の縁起はそれを更に後世写し取ったものと考えられています。【現地案内板より抜粋】洲崎神社と同じご祭神。長い参道の先には、社殿前に見頃を迎えた大きな銀杏の木。とても良い参拝となりました。
境内はそれほど広くないですが、静かで自然の物音しかしない落ち着ける雰囲気の神社拝殿前の大銀杏がかなり立派です。
『天比理乃咩命』(主祭神)と『天鈿女命・天富命』(相殿神)を御祭神とする神社で、肥沃な土地を求めて阿波国へ上陸して開拓した後、さらに肥沃な土地を求めて阿波忌部氏の一部を率い房総半島に上陸したとされる『天富命』が、初代神武天皇元年に魚尾山に創建し、当時海辺にあったことから『洲宮』と呼ばれたとされます。『洲崎神社伝記』によると、古くは『明神山』に鎮座していましたが後に『魚尾山』へ遷座、文永10(1273)年10月15日の夜に発生した火災により社殿を焼失、その後長らく仮宮に鎮座し、永享11(1439)年10月に現在地へ遷座したと伝えられます。江戸期、当社は安房国一之宮ともされましたが、安房神社が一之宮であり、確実な史料がありませんが安房国二之宮の可能性があるとされ、『洲宮神社縁起(書籍典籍等)』『祭祀用土製模造品(考古資料等)』『木造天部像(彫刻)』が館山市の有形文化財に、『洲宮神社御田植神事』が館山市の無形民俗文化財にそれぞれ指定されています。境内に広い駐車スペースあり、トイレもあります。
御祭神は天比理乃咩命・相殿神は天鈿女命・天富命創建は神武天皇元年(紀元前660年)、社伝によれば天富命が魚尾山に神社を創建、当時海辺にあったことから「洲神」や「洲宮」と呼ばれたと伝わります。洲崎神社とは式内社の論社です。国道410号を走っていると突然鳥居が見え思わず通りすぎるところでした、鳥居から境内に入ると境内は広くさっぱりしており清掃が行き届いています、地元の方々に大事にされているのがわかります。知られてないのか参拝者がいなかったのですが境内は何か暖かな雰囲気がします。知られてないのはもったいないと感じました。安房の神社を巡る時には最初に洲宮神社→洲崎神社→安房神社と参拝するとそれぞれの良さがわかるかと思います。お時間のある方は3社を巡ってはいかがでしょう。駐車場は境内に入ると大きな敷地があり駐車できます。
拝殿の裏の通路を覗くと、かつて神社を飾っていた彫刻が眠っています。作者は渡辺太右衛門。
洲宮神社すのみやじんじゃ千葉県館山市洲宮921祭神天比理乃咩命(あまのひりのめのみこと)斎部氏の祖神である天太玉命の后神です式内社(大社)論社で他社は州崎神社です甲乙つけがたいのが実態です2020/9/11 参詣。
安房神社、州崎神社との関連性が興味深い。
阿波忌部が安房を渡り活躍した足跡をたずねて参詣しました。忌部の始祖であり、天岩戸神話、ニニギ命降臨神話に登場する天太玉の后アメノヒリトメノ命を祀ってます。
ぜひとも、石段登ってお参り下さい。そこからの景色がご利益です。
名前 |
洲宮神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0470-28-0461 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.9 |
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鹿島・香取を参拝したあとJR館山駅からバスで安房神社に向かう途中「洲の宮バス停」で下車して参拝。延喜式内社天比理刀咩神の論社。本当は洲崎神社にも行きたかったのですが車でないので断念。ここは仏教の影響が強かった洲崎から神職が御神体を遷したとも言われてますが、眺めがよいわけでもなく規模も小さくすぐ廻れてしまうので、次のバスが来るまで退屈しました。