山中城で武将を祀る宗閑寺。
宗閑寺の特徴
山中城で戦死した武将が祀られるお墓が存在します。
北条家と豊臣秀吉の先鋒隊の武将が弔われている寺院です。
徳川家による開基の菩提寺として歴史的な価値があります。
山中城で戦死した北条方・豊臣方両方の武将のお墓があります。
山中場の脇にあります。
令和6年10月訪問。小田原征伐に伴い、山中城に攻め入った豊臣軍と、最前線で戦った北條軍の戦場。この地で亡くなられた双方武将のお墓のあるお寺。お寺には、徳川家三つ葉葵の家門が掲げられています。もっと知って貰いたい場所だと思います。合掌🙏
山中城に存在し、豊臣、後北条氏双方の戦死した武将を弔うお墓が存在します。案内板によると左側の古い方のお墓は北条氏方のお墓で城主の松田康長、間宮康俊、多米(目)長定らのようで、右側のお墓は豊臣方で、秀吉に目をかけられていた一柳直末のお墓のようです。天正の頃はお互いに争い血を流し合った双方が、現代ではお互いに並立し、静かに佇む姿になんとも言えない追悼の気持ちを感じました。
☆山中城三ノ丸跡の一画に佇む旧東海道沿いの小さいお寺『宗閑寺』、山中城跡への登城路から外れているので訪れる方も少なくひっそりと静寂、そんな境内の左手奥に苔むした墓石。山中城の攻防戦で討死した武将達の墓標⚔️☆左側に纏まった年代を感じる4基の墓石群は北条軍武将、一番右は山中城将「松田康長」・左側3基は副将「間宮康俊」とその弟・上野箕輪城主「久米長定」の墓。右側の少し新しい石碑は豊臣攻城軍の先鋒武将で激戦の中、戦死した秀吉子飼い武将「一柳直末」の墓(討死を聞いた秀吉が号泣した事は有名)、墓石が新しいのは子孫の方が新しく建て替えたそうです、成る程🤔☆敵味方の武将の区別なく同じ場所に並んでいるとは、中々珍しい寺、1620年(元和6年)副将として戦死した間宮康俊の娘の遺志で了的上人が開山、その娘が徳川家康の側室に成った「お久の方」とは何と言う歴史運命😲
💮山中城巡り時に参拝させていただきました‼️
北条家と秀吉互いの先鋒隊の武将がこの地で戦死し祀られた石碑、お墓が有る宗閑寺。境内にブナの巨木有り。
たぶん宋閑寺なんじゃ?
山中城で戦った、北条・豊臣、両陣営の武将がまつられています。
| 名前 |
宗閑寺 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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山中公民館さんに隣接する、浄土宗のお寺さんです。豊臣家と北条家の山中城攻防戦で戦死した両軍の方々の墓があある懐の深いお寺さんです。