纒向の古墳、歴史を感じる。
纒向石塚古墳の特徴
纒向石塚古墳は日本史上指折りの古墳群の一部です。
古墳時代草創期に築かれた歴史ある墓地です。
全長約96mの前方後円墳が現存し美しいです。
夏場は草ぼうぼうのため盛り上がっている部分まで歩いて行くのは若干の覚悟が必要。東に隣接する広大な空き地に駐車しておくのも短時間なら許容範囲かも知れません。
古墳の上にエノキの巨樹がある。幹周り:6.0m、樹高:26m(株立ち、推定)古墳の上は綺麗に草刈りがされているが、クスとエノキが残されている。エノキは10本以上の株立ちで幹は太く、周辺に他の木々がないため樹冠が広い。写真では一塊にまとまっているように見えるが、他の角度から見ると間を置いて伸びる株もありやや混沌とした幹周りになっている。
あっさりとしたシンプルな古墳でした真ん中にでんとした大きな木は、まるで日立の木のようです(気にはならないけど)
最古の古墳かも側の空き地に駐車 道からの入口狭し。
価値の高い纒向型前方後円墳代表例の古墳(墳丘墓)です。現状はただの低い高まりですが、3世紀前半〜中頃の築造と考えられているかなり古いものです。それ故もっと整備してあげてほしいです。
価値の高い纒向型前方後円墳代表例の古墳(墳丘墓)です。現状はただの低い高まりですが、3世紀前半〜中頃の築造と考えられているかなり古いものです。それ故もっと整備してあげてほしいです。
最初の前方後円墳の可能性が高い古墳。少なくとも紀元後220年辺りの建設された。
後の朝廷へと繋がる大和王権の発祥の地とされる纏向(まきむく)にあって最も年代のさかのぼる古墳で、かつ「前方後円墳」の始祖とも考えられている超重要古墳です。埋葬者は特定されていませんが大王(おおきみ)に先立つ存在である可能性もあります。もしかして神話に登場する人物かも(笑)。特徴は標準型(?)と比べて円丘部が真円ではなく卵形で、前方部が極端に小さくバチのように先端が開いた形状になっている事です。そのため以前は帆立貝型古墳とも呼ばれていました。今では、この極初期型前方後円墳は場所の名をとって「纏向型前方後円墳」と分類されるようになったようです。現地で見ると妙に墳丘が低く、上部が真っ平らな事に気づきますが、これはオリジナルの形状ではなく戦時中に崇神天皇陵前にあった柳本飛行場(海軍大和基地)を守る高射砲(写真参照.海軍では高角砲と呼んでいた)を据え付けるため、上部が削平されてしまったとの事です。最も貴重で価値ある古墳になんちゅー事してくれてんねん!(怒)。ただ削平時に遺構は検出されなかったので、埋葬部は別の場所にあるか、墳丘の深い位置に埋設されている可能性もあるそうです。草がぼうぼうで歩きにくく全体形状も分かり難くて、見学に適しているとは言えませんが、近くで大規模な纏向居館が発掘されて、そちらに人員が取られて予算が回らなかったのかな(笑)。早く価値に相応しい扱いがされるように望みます。すぐ近くには同一規模、同一形式の勝山古墳、矢塚古墳も存在し、ここが弥生時代末期から古墳時代初期にかけての圧倒的な先進地帯で文化経済の中心地であった事がよく分かります。「神なる山」三輪山や盆地反対側にある二上山を眺めながらの散策は実に楽しいので、こちらも是非どうぞ。
箸墓古墳に来た流れで立ち寄りました。古墳と言えるのか?どうか?は微妙な所ですが、古代のロマンを感じられる素晴らしい歴史的価値のある場所だと思います。
| 名前 |
纒向石塚古墳 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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2025年8月9日に見学しました。近くの小学校を建設する際に詳しく発掘調査が行われたとうかがいました。全長96m、後円部径64m、前方部は撥(ばち)形で葺石や埴輪が敷設されていない3段築成の前方後円墳です。周濠から孤紋円盤(山陽地方の祭祀用具)、朱塗りの鶏形木製品、土師器(纏向Ⅰ式期)などが出土しています。土器の型式や木製品の炭素年代測定などから弥生時代末期から古墳時代初頭の物品だと思われます。被葬者は、倭国大乱前後の首長かと考えられていますが、不明です。孝霊天皇の御墓ではないかという説もあるようです。纏向遺跡内では、最古の古墳ではないかと考えられています。まだ、石室は未発見なのだそうです。発掘調査が進んで新しい資料が出てくると更に未解明な歴史がハッキリすることでしょう。