文殊院東古墳を感じて。
文殊院東古墳(閼伽井古墳)の特徴
飛鳥時代に造立された古墳としての歴史を感じられます。
安倍文殊院の信仰対象として位置づけられている場所です。
文殊院西古墳の陰に隠れた、存在感ある県史跡が魅力的です。
中に入る事は出来ませんが、外から内部を見る事が可能です。この中には『知恵の水』と言われる清浄な水が湧いているそうで、以前は瓶詰めにした物がお寺で販売されていました。
東古墳は、飛鳥時代に造立されました。「閼伽井の窟」とも呼ばれています。閼伽井とは 「伽水の井戸」の意で、羨道の中程に古来より枯れることのない泉があったことが由来しています。この泉の水は「伽水(智恵の水)」と言い、法要 等に使う清浄な水として使用されていました。
同西古墳の石室内には弘法大師が掘った石仏が‼️
▪️安倍文殊院内に、文殊院西・東古墳の2基があり、西古墳は石室内も見学ができます。
国特別史跡の文殊院西古墳の東50mに位置する古墳ですが文殊院西古墳の陰に隠れ、素通りされることが多い古墳ですが、この古墳も堂々の県史跡。墳丘は円墳又は方墳と思われますが詳しい調査は行われていないので規模は明らかではありません。横穴式石室は両袖式で全長が13m。玄室長4.7m、幅2.3~2.7m、高さ2.6m。羨道部は長さが8.3m、幅1.8~2m、高さ1.5mを測り南南西に開口しています。玄室部はほとんど加工されていない自然石、羨道部は切石の花崗岩が使われているのが特徴で、石室の石材が自然石から切石に変化して行く過渡期の古墳と言えるでしょう。また、この古墳は石室の羨道部に井戸があるところから閼伽井窟と呼ばれ,古くから信仰の対象とされてきました。現在石室内には入れませんが開口部から、およその雰囲気は感じ取ることができるでしょう。出土遺物は不明ですが石室の形状より築造年代は7世紀前半と思われ当地の大豪族であった安倍氏一族の墳墓の可能性があります。
2020 5 3本日、文殊院東古墳にて参拝させて頂きました。初めての参拝です。文殊院東古墳は、文殊院西古墳のように入ることはできません。〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️文殊院東古墳は、国特別史跡の文殊院西古墳の東50mに位置する古墳ですが文殊院西古墳の陰に隠れ、素通りされることが多い古墳ですが、この古墳も堂々の県史跡です。墳丘は円墳又は方墳と思われますが詳しい調査は行われていないので規模は明らかではありません。横穴式石室は両袖式で全長が13m。玄室長4.7m、幅2.3~2.7m、高さ2.6m。羨道部は長さが8.3m、幅1.8~2m、高さ1.5mを測り南南西に開口しています。玄室部はほとんど加工されていない自然石、羨道部は切石の花崗岩が使われているのが特徴で、石室の石材が自然石から切石に変化して行く過渡期の古墳と言えるでしょう。また、この古墳は石室の羨道部に井戸があるところから閼伽井窟と呼ばれ,古くから信仰の対象とされてきました。現在石室内には入れませんが開口部から、およその雰囲気は感じ取ることができるでしょう。出土遺物は不明ですが石室の形状より築造年代は7世紀前半と思われ当地の大豪族であった安倍氏一族の墳墓の可能性があります。
あかいくつ、安倍一族の信仰の対象の場所。
飛鳥時代に建立された古墳。
やはり安倍一族のお墓だろう。大きな石組の立派な古墳である。
名前 |
文殊院東古墳(閼伽井古墳) |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.6 |
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飛鳥時代の造立で、「閼伽井の窟」とも呼ばれているそうです。