天磐船の降臨、航空の神様。
矢田坐久志玉比古神社の特徴
神武天皇より前の神話が息づく、由緒ある神社です。
航空の神様として知られる、木製プロペラが印象的です。
重要文化財の建物があり、歴史を感じながら参拝できます。
奈良県大和郡山市矢田町965JR西日本大和小泉駅より、奈良バス郡山駅行き、横山口バス停下車徒歩8分この神社は天津神(あまつかみ)であった櫛玉饒速日命(くしたまにぎはやひ)が天磐船(あめのいわふね)に乗って降臨した場所と伝わることから「航空の神様」として信仰を集めています。古文書からの記載によると、こちらの神社が西暦806年以前より建立されていたと記録が存在しています。かなり長い歴史を持つ神社と言えます。航空遺産について:神社正面楼門の上部には木製のプロペラ(九一式戦闘機)が飾られています。その横にある航空祖神と書かれた扁額は航空自衛隊初代幕僚長源田実氏による寄贈品です。神社境内左手の建物が祭殿となっており、航空関係の絵(零戦、赤とんぼ)や資料があります。祭殿中央部鴨居部分に堀丈夫陸軍中将(陸軍航空本部長)の書があります。そこには神徳赫奕とあります。神徳赫奕(しんとくかくえき)」は、神の恵みや功徳が光り輝くほどに素晴らしい様子を指す意味のある漢語表現とあります。社務所には航空自衛隊歴代使用機種の写真も飾られています。宮司さん並びに職員の方は大変フレンドリー、様々な質問にも快く対応して頂けます。毎年9月20日には航空祭が神事として執り行われます。ぜひ皆様でご参加ください。
矢田坐久志玉比古神社(やたにいますくしたまひこじんじゃ)※別名 矢落(やおち)神社主祭神 久志玉比古神(櫛玉饒速日命)御炊屋姫命(みかしきやひめ)当社の詳しい創建年代は不明であるが、当社の祭神である櫛玉饒速日命は、天磐船に乗って空を飛んだと先代旧事本紀に記されている。その際に櫛玉饒速日神が天から放った2本目の矢が落ちた所に当社が建てられたとされている。また、これによってこの地を矢田というようになったという。『新抄格勅符抄』大同元年(806年)の諸社神封の条には「矢田神二戸大和」とあり、当社はそれ以前から建立されていた古社であることがわかる。なお、仁徳天皇の皇后である矢田皇女はこの地方の出身と考えられている。当社は、当地方最大の古社として創建より6世紀前半までは畿内随一の名社として栄えたとされている。また、延喜式神名帳に記載されている大和国添下郡十座の筆頭社で式内大社である。明治12年(1879年)の神社明細帳では当社の祭神は天太玉命となっている。どうやら明治政府の圧力で40年程天太玉命を祀らされたらようである。明治時代に郷社に列せられているが、昭和13年(1938年)10月には県社に格上げされている。櫛玉饒速日命が天磐船に乗って空を飛んだとの故事により、櫛玉饒速日命は航空祖神として崇められており毎年9月20日には航空祭が行われている。楼門の上層部にはかつて戦闘機に使用されていたというプロペラが奉納され、飾られている。境内には二之矢塚がある。また、この地こそ邪馬台国であるという説もある。Wikipedia引用建立が室町時代といわれている本殿と本殿の西側に並立する八幡神社社殿は、国重要文化財。また、櫛玉饒速日神は、大空を司る神「航空祖神」としてあがめられ、昭和15年に9月20日が「航空の日」に指定されてから毎年9月20日に「航空祭」が実施されています。大和郡山市観光協会HP引用木製のプロペラは中島飛行機製の「陸軍九一戦闘機」のものであり、ほかにも「航空祖神」と記された扁額(へんがく)が掲げられています。掲げられた扁額は、旧海軍軍人で航空参謀を歴任し、戦後は航空自衛隊のブルーインパルスを創設した源田実さんによって奉納されました。寺社城郭探訪記引用。
神様の名前に本名があるのかわかりませんが…御祭神は天磐船(あめのいわふね)にお乗りなり降りて来られた 饒速日命(にぎはやひのみこと)です。 降り立つ前 三本の矢を空より放ち落ちたところを居宮(いみや)とするとしました。矢田の地名はそれに由来します。天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)が先代旧事本紀に見る正式な名前とされています。 恐ろしく長い。 その中に「クシタマ」を見ることができます。境内に放たれた 二の矢の碑があり磐座がその証と伝わります。神様が空から磐船に乗ってこられたことに因んで航空の神様と崇敬され 楼門にプロペラが祀られています。
難しい漢字、現代では当て字っぽい神社には有名な神が祀られているとの勝手な思考で参拝しました。御祭神は、もう一人の天孫降臨。邇邇芸命の兄にあたる饒速日命が祀られています。立派な門もあり八幡宮の雰囲気や馬が祀られ天満宮の雰囲気もあります。拝殿から背後の鎮守の木々が凛とした空気感があり気が引き締められます。本殿には近づけませんが、外削ぎの千木と一対の鰹木を有した立派な春日造だと思います。古代奈良盆地東北部の豪族、和邇氏、物部氏の支配した矢田や登美白庭など古事記の世界の中心がこの前にあったのが事実であった気がします。
御祭神は饒速日命、三炊屋媛の二柱饒速日命推しの自分としては聖地です古事記、日本書紀には記載のない初代大和王国の統治者地元のお年寄りの方には地元ならではの口伝の伝承があるみたいです。
饒速日命他を祭神とする神社で、尊が天の磐船で降臨した後に、ご自身の宮殿を建てるのに適当な土地を探す事となった。そこで三本の矢を磐船から放った。二の矢が落ちた場所を宮殿とする事となった。一の矢は南側三の矢は北側に落ちた。矢の落ちた田から、矢田と呼ばれたらしい。二の矢塚は磐船の欠片とされる岩に注連縄が巻かれている。神社は航空祖神とされ、楼門には陸軍戦闘機から外されたプロペラが掛けられている。神社は六世紀までは畿内屈指の神社だったが、物部氏の衰退に伴い衰退したとされる。一の矢塚の近くの主人(ヌシト)神社は摂社とされ、当社が古代には広大な神域を有していたことがしのばれる。また最近有名な富雄丸山古墳とも800メートル余離れているだけであり、何か関係があるかも知れない。多くの饒速日命に関係する神社は富雄川東側に存するが、当社は西側にある。
2024年8月17日に参拝しました。参拝する前に一之矢塚を見学して来ました。神武東征の際に神武天皇と戦った長髄彦が、信奉していた神様が、饒速日命(ニギハヤヒノミコト)と言われています。日本書紀によると、饒速日命は、天照大御神から十種の神宝を預かり、天磐船に乗って河内国に降り立ちました。その後、乗船して大和国に降臨したと伝えられています。つまり、神武天皇よりも先に大和国へ降臨していた神様です。降臨する場所を探すために、船上から三本の矢を放ったそうです。そして、二番目の矢が落ちた場所が、この神社に祀られている二之矢塚です。航空の神様としても有名です。
奈良県大和郡山市に鎮座する航空の神様です、本殿前の門にはプロペラが有ります。本殿前は夏でも気持ちの良い風が吹いてとても清々しく社務所の方も優しいので大和郡山市に行く時は必ず参拝させて頂きます。
主祭神は饒速日。天孫降臨の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の兄とも言われ、神武の東征前に大和に君臨していた天津神。天磐舟に乗って天を舞い、三本の矢を放ち二の矢が落ちたこの地に宮を築いた。この地域は矢田と言われる由縁でもある。天を舞ったことから航空の神様と呼ばれ神社の門にはプロペラが掲げられている。因みに近くに一の矢、三の矢が落ちた地にも石碑が建っている。神話伝説浪漫に満ちたこの神社と界隈、田園風景の中に想像力を高めてくれる。
| 名前 |
矢田坐久志玉比古神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0743-52-7313 |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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饒速日命を祀る神社です。宮居があった場所との伝説もあります。二の矢塚も力を入れて感じます。