義経を守った佐藤継信の地。
射落畠の特徴
屋島の戦いで佐藤継信が戦死した歴史的場所です。
義経が賜った馬『太夫黒』の墓も同敷地内にあります。
1185年に起きた重要な戦いの記念碑的スポットです。
治承・寿永の乱の際にサブロー・ヒョーエ・サトーが戦死したことを記念する、1931年に整備された史跡。オベリスクがある。
屋島の戦いにて佐藤継信が義経を庇って射られたところ。
この場所は源氏の佐藤継信が義経の身代わりとなり弓矢で亡くなつた場所である。あここ。
1185年2月19日 義経の四天王の一人と言われた佐藤継信が 義経の身代わりに 戦死した場所で 平家の能登守教経の弓矢に射ぬかれ亡くなり 継信28才の時の事ですまた義経が後白河法皇から 義経に賜った馬『太夫黒』(タユウグロ)の墓も 同敷地内にあり奉られていました。
| 名前 |
射落畠 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
平家の猛将、強弓で知られる平教経が源氏の大将・源義経を狙って矢を放ちますが、そうはさせまいと矢面に立つ人々がいました。数人が倒れましたがその中の一人が佐藤継信。左肩から右脇腹にかけて矢が刺さり落馬。その首を取ろうと駆け寄る教経に仕える菊王丸、その菊王丸を狙ったのが佐藤継信の弟・忠信。源氏方は佐藤継信が、平家方は菊王丸が討たれた、平家物語に描かれる迫力ある場面です。寿永4年2月19日(1185)源平合戦の際、源氏の武将・佐藤継信が大将 義経の身代わりとなり、平家の雄将・能登守 教経の強弓に射落された所です。昭和6年継信の墓所大修築と共にこの地に柵をめぐらし池泉をつくり射落畠碑と、遠祖君乗馬 薄墨碑を建立し、これをあらわしました。