鯛が泳ぐ海沿いの水城。
二の丸跡の特徴
秋の菊花展や鯛願成就が楽しめる公園です。
堀に泳ぐ鯛がいる珍しい水城として知られています。
駅近でのんびり散策できる静かな環境が魅力です。
往時の築城途中の光景に出会えます。離れて見る角度によっては石垣の上にホテルクレメントが天守閣の如く観られます。
秋の菊花展が開催されてました。回りのお堀には海水が入っていて、ちぬ黒鯛の餌やりができます。昔は遊園地だったのにね。
本丸、天守台と鞘橋で繋がる二の丸跡です。今は広い広場になっています。
公園内の鯛願成就が印象に残りました。
鯛がお堀を泳ぐ珍しい城です🙋
海沿いに建っていた。今は天守台跡、櫓と堀が残る。
堀に海水を引き入れているので、鯛が泳いでます。この様な海城は珍しく、貴重です。
駅チカでのんびり散策。天守閣復元を期待する話もあるそうだけど、当時の資料が不足していて難しいんだとか。私的には天守閣はなくても充分楽しめます。
平和な城は疲れなくていい!
| 名前 |
二の丸跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
087-851-1521 |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 7:00~17:30 |
| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
玉藻公園の西入口を入ってすぐに広がるのが、二ノ丸跡です。高松城では、本丸を内堀で囲み、二ノ丸はその南東側に位置する、本丸と並ぶ重要な曲輪でした。現在は広場のようになっていますが、江戸時代には城の中枢を構成する重要な空間でした。二ノ丸は、時代によってその役割が変化しています。絵図などによると、生駒氏の時代から松平氏初期にかけては、藩主が暮らす御殿が置かれていました。その後、藩主の御殿が三ノ丸へ移されると、二ノ丸には倉庫などが置かれたと考えられています。藩主の居住空間から城の物資を保管する場所へと、その性格を変えていったことが分かります。二ノ丸の東側、三ノ丸との境界には、鉄門が設けられていました。その名の通り、鉄板を張った門だったと考えられ、三ノ丸側から二ノ丸へと通じる東面の正門として重要な役割を果たしていました。一方、西入口付近には、二ノ丸と西ノ丸を結ぶ刎橋口と呼ばれる小さな門もありました。西ノ丸は現在では埋め立てられており、当時の城内動線をそのまま見ることはできません。現在、二ノ丸で特に目を引くのが、鉄門跡の石垣です。平成15年(2003)10月に西面石垣の一部が崩れたため、平成16・17年度(2004・2005年度)に解体修理が行われました。その際には石材一つひとつに番号を付けて元の位置に戻すなど、慎重な保存修理が行われています。石垣の中には、周囲よりひときわ大きく見える「鏡石」もあります。実際には奥行きの薄い石ですが、正面から大きく見せることで、城の威容を演出する効果がありました。さらに、鉄門の石垣を解体した際の発掘調査では、石垣内部から17世紀中頃の土器が出土したほか、豊島石の切石で造られた穴蔵も発見されました。東西約2.3メートル、南北約1.3メートル、深さ約80センチの施設で、寛文2年(1662)に北西隅櫓への落雷から鉄門付近まで延焼し、武具などが焼失した記録と合わせると、この頃に石垣を修築し、防災対策として穴蔵を設けたものと考えられています。さらに石垣の裏側からは、多量の五輪塔も出土しており、石材不足を補うために転用されたものと考えられています。西入口から二ノ丸へ入り、鉄門跡の石垣を眺め、さらに本丸へ向かう――。現在は静かな公園となっている二ノ丸ですが、ここには藩主の御殿が置かれていた時代、倉庫として使われた時代、そして城を守る鉄門があった時代の痕跡が重なっています。とりわけ鉄門跡の石垣と、そこに残る鏡石や発掘された穴蔵は、目に見える石垣の背後にあった高松城の歴史を具体的に伝えてくれる遺構です。