一条教房、京都の味を土佐で。
一條教房墓の特徴
狭い道を歩いて行く先にある、一條教房の静謐な雰囲気が魅力的です。
京都から土佐に移転した歴史ある一條教房、特別な思いが感じられます。
高知県四万十市に位置する墓地で、地域の人々から大切にされています。
手前の家が犬を放し飼いにしており大変危険。100m以上追い駆けられました。
道は狭いし、駐車場はないので、歩いて行ってください。
| 名前 |
一條教房墓 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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一条教房が京都から土佐にきた理由は?一条教房が京都から土佐中村(現在の四万十市)へ来たのは、応仁の乱の戦火を避けるためです。教房は関白を務めた人物で、戦乱で荒廃した京都を離れ、自身の荘園があった土佐中村に居を移しました。具体的には次の通りです。⦿応仁の乱応仁2年(1468年)年、京都は応仁の乱で戦火に見舞われ、教房の邸宅も焼失しました。⦿荘園の回復教房は、土佐中村に荘園を有しており、その回復と自身の安全を求めて中村に向いました。⦿中村御所中村に到着後、教房は中村御所を構え、碁盤の目状の街作りを行うなど京都を模した街作りをしました。⦿土佐一条氏の基盤この出来事がきっかけとなり、教房の子孫は 土佐一条氏として戦国時代まで土佐で勢力を持つことになります。その後、教房の息子一条兼定は『四万十川の戦い』で『長宗我部元親』と戦うことになります。この戦いがきっかけとなり、一条家は滅亡への道へと向かって行きます。