足摺岬に立つ万次郎像!
中浜万次郎像の特徴
足摺岬公園入口に立つジョン万次郎の銅像は、観光名所の一つです。
数奇な運命を辿った万次郎が開国に尽力した歴史的な場所でもあります。
駐車場から近く、訪れやすい位置にあるジョン万次郎の銅像です。
ジョン万次郎の銅像です。資料館の近くに立つ群像とは異なり、こちらは万次郎しがお一人で凛々しく立っておられます。太平洋方面を望む万次郎氏の視線はどこを向いているのか?不明ですが、これだけ立派な方であったのなら、難破しても海外で突然暮らすことになっても全てに立ち向かって日本に生還し、今度は国内で明治維新に関わる大仕事をやってのけたのも頷けます。またこの銅像のすぐ横には、「土佐偉人銅像案内図」があります。坂本龍馬はもちろんのこと、長宗我部元親から吉田茂まで、高知県出身の偉人達を模った銅像に関する情報がまとめられており、大変興味深い資料でした。
四国最南端の足摺岬にある幕末の偉人、ジョン万次郎こと中浜万次郎氏の銅像です。岬から直線6kmほどの距離にある中ノ浜村(現在の土佐清水市中浜)の出身です。足摺岬沖で漁をしていた14歳の時に遭難し伊豆諸島の鳥島に漂着し、アメリカの捕鯨船に救助されアメリカ本土に渡った万次郎は、日本人で初めてアメリカの学校に正式に通い語学や航海術、造船技術などを熱心に学んだとのこと。遭難から6年後の1851年に日本に帰国し、その豊富な国際知識をかわれてペリー来航を機に幕府直参となり、日米修好通商条約批准時の遣米使節団にも選ばれるなど開国に向けて大きく貢献し、日米交流の礎を築いた人物です。太平洋をまたにかけて活躍した偉人ですので、太平洋の方向を見渡すように立っています。訪問時期:2023年9月。
ジョン 万次郎さん アメリカ合衆国を訪ねた最初の1人。日米和親条約の締結に尽力。幕末の日本に多大な貢献。
この人がいなかったら日本の近代化は遅れていたかもしれない。実はジョン万次郎の故郷はこの場所にあるわけではありません。 バスで30分、車で15分です。土佐の偉人銅像の中で唯一、遠く離れたところにある。 ずっと県南へ。
万次郎像の顔を見ると、やはり少し外人ぽいなと思います。残された肖像画を見ても唇厚く外人ぽい。
オリオン座と冬の大三角の間に天の川が通ってたのですがトイレの灯りが明るすぎて万次郎さんの銅像が真っ白になるので星控えめになりました。
足摺岬公園入口にあるジョン万次郎こと中浜万次郎の銅像。足元の看板には万次郎や高知出身の歴史人物の説明資料の看板がある。
堂々とそびえ立つジョン万次郎。日本の宝。
足摺岬に向かうときにありました!この人の前半生はほんま劇的やなー💦やっぱり頭がいい人は違うよな😅
名前 |
中浜万次郎像 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0880-82-1212 |
住所 |
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HP |
https://www.city.tosashimizu.kochi.jp/kanko/g01_jyonmandozo.html |
評価 |
3.9 |
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足摺岬へ行く駐車場のすぐ近くに立っている銅像です。ジョン万次郎は、近代日本初の国際人で、本名は中浜万次郎です。1841年に出漁中に遭難するものの、幸いにもアメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号のウィリアム・H・ホイットフィールド船長に助けられ、船長の生地フェアヘーブンで学校教育を受け、海外の見聞を広めました。1851年に帰国後、その国際知識をかわれて幕府直参となり、1860年には日米修好通商条約の批准書交換のために幕府が派遣した海外使節団としてジョン万次郎が乗り込んだ船が、勝海舟が艦長だった咸臨丸です。開国に向けて日米交流の礎を築いた万次郎の功績は大きいものだと思います。