歴史を感じる静寂、野間大坊。
大御堂寺の特徴
天武天皇時代に建立された『阿弥陀寺』として知られる歴史深い寺院です。
源義朝公のお墓がある美浜町の名刹として圧倒的な荘厳さがあります。
豊臣秀吉の居城の一部を移築した客殿が印象的で、特別な雰囲気を醸し出しています。
客殿に場快慶の美しい85㎝程の阿弥陀立像が祀られています。五メートル内陣奥なため双眼鏡を。源頼朝が、東の館の風呂場で騙し討ちされた父 源義朝を弔うため中興した寺。墓所もあります。国宝や重要文化財が有ります。客殿での絵とき語りは電話要予約、6名まで一回3000円。
静かな寺院です。木太刀という、太刀を模した木にお願いごとをするものを奉納してきました。500円です。また、お守りに、脂肪燃焼守なるものがあり、とても興味深く見ていました。
駐車場が大きく静かな場所で歴史的価値が高い寺院をゆっくり見る事が出来ました。
知多半島にある古刹。源頼朝の父、義朝の墓があると知り訪問。訪れてから知ったが、織田信長の三男で織田家の後継者争いに敗れ、自害した神戸信孝の墓もある。
寺伝にある役小角の開基、行基による中興との由緒は恐らくは話がもりもりに盛られていて、平治の乱に敗れ、この地で家人に弑逆された源義朝の墓が荒廃するのを見かねた役人が、僧を招いて御堂を建てたのが寺の起こりと考えられています。義朝の子で後に天下人となる源頼朝は、仇敵となる平氏一門を討つために東国から西へ西へと兵を進める途上でこの地に立ち寄ります。罪人とされた父があつく弔われているのを見て感激した頼朝は、寺には土地と建物を寄進すると共に、平氏一門であった役人にもほうびを取らせたそうです。その後も綿々と寺勢を保ちながらも歴史の表舞台に登場することのなかった大御堂寺が、にわかに注目されるのは織田信長の死後となります。信長が本能寺の変により横死したのち、清須会議にて柴田勝家にかつぎあげられた信長の三男の織田信孝は、長男の織田信忠の遺児・三法師、次男の織田信雄をかつぎあげた豊臣秀吉に敗れた後に大御堂寺にて詰め腹を切らされます。父の天下を盗んだ秀吉、その片棒担ぎをしている信雄に対する信孝の怒りは凄まじく、切った腹から引きずり出した腸をあたりに投げ放ったと伝えられています。源平合戦の頃とはうってかわって人情味のある逸話は皆無です。現在の諸堂は近世以降の再建となります。客殿は秀吉の居城であった伏見桃山城の遺構で、豊臣氏の滅亡後に移築されたものです。諸行無常です。国重文の梵鐘は鐘楼のガードが固くてほとんど見えず、他にも所蔵する国重文はあるものの非公開のようです。国宝・国重文があたりまえにある畿内の名刹ほどの見ごたえとは申しませんが、歴史を感じられる良いお寺です。
250511愛知近郊探索で行きました。こんな歴史的価値の高い寺院がここにあったことを知りませんでした。ボランティアの方から丁寧なご説明をいただき、当時の風景を思い浮かべつつお参りしました。ありがとうございました。御朱印拝受しました。
大御堂寺が正式名称。源義朝の墓所があることで、鎌倉は勿論、家康にも保護された寺院。知多四国霊場では正確には50番が本堂の大御堂寺、51番が客殿である野間大坊とのこと。義朝の墓所たる宝筐印塔、彼の首を洗ったという血の池など見どころも多く、野間駅から歩く価値あり。
女子プロゴルフの駐車場の所にあったので少し参拝しました。
おくり(住職の妻)さんの💗心を込めたおもてなしがよかったです🙏🏻次回はお蕎麦を頂きたいと思います🙇🏼♀️こんにちはぁ☺️ポカポカ〜✨《野間大坊》『野間大坊は天武天皇(673~686)の時代に『阿弥陀寺』として建立された寺で周辺には鎌倉幕府の初代将軍である源頼朝の父・源義朝や織田信長の三男・織田信孝が最後を迎えた地があります。』おみくじ…中吉&大吉👏🏻👏🏻👏🏻お守り…脂肪燃焼守り・スポーツ上達守り・美守り・ふくろう守り・トラウマ克服守り・お願い地蔵様などなど有ります💁🏼♀️色々なお守りが有って面白かったです(笑)
| 名前 |
大御堂寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0569-87-0050 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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今月初野間大坊知多四国巡礼伺いました🙏✨広々とした境内…。お守り類豊富に販売されていました🤝🫶🌈👑線香が珍しいなが〜くて太くて楽しく購入に至りました。住職様にはどちらからと質問されて名古屋と答えると合掌されました🙏🙏🙏