続100名城の戦国遺構!
古宮城跡の特徴
古宮城は武田信玄の命で築かれ、戦国時代の遺構がほぼ完存しています。
土塁や空堀が緻密に残り、城攻めの面白さが体験できる城跡です。
路地を迷路のように進む、本物の戦国時代の雰囲気が随所に漂っています。
続日本百名城🏯 古宮城 1️⃣古宮城中心部愛知県新城市作手清岳にある古宮城跡は、続100名城ながら、中上級者向けの迷路のような城跡です。私は、設楽原歴史資料館発行の古宮城跡案内図を見ながら攻城しました。(長篠城址史跡保存館などにも置いてあります)これが無いと、「何が何だかわからない」という人も多いと思います。現に、私に「地図を見せて欲しい」と言ってきた方がいたので、写真を撮らせました。※登城口の白鳥神社下の看板に、古宮城跡案内図があるので、これをスマホで撮ってから攻城するのが良いと思います。古宮城 2️⃣城西側から外周2019年のGW以来、5年半ぶりの攻城。説明板が増えて、全体的にわかりやすくなったものの、城南東部の堀跡が資材置場により、わかりにくくなったり、春の方が城跡としては見やすいと感じました。以下は【古宮城の歴史】古宮城は武田信玄が元3年(1572)頃に築城し、その縄張りは馬場信春が設計したと考えられています。元亀4年(1573)に武田信玄が逝去すると、当地の領主であった奥平貞能・信昌親子は徳川家康に内通して武田家から離反することを企てました。武田軍は奥平親子を捉えようとして争いになり「古宮城の戦い」が起こりました。この時、奥平親子の援軍として駆け付けた徳川家康軍は手薄となった古宮城にも攻め入り、一時、城内から武田勢を撤退させたと伝えられています。天正2年(1574)、古宮城には武田勝頼の命を受けた小幡与ーらが作手城番として入城したことが知られています。しかし、その翌年の天正3年(1575)に「長篠・設楽原の戦い」で武田勝頼が織田信長と徳川家康の連合軍に敗北すると、当地における武田方の影響力は失われることとなりました。古宮城が武田の拠点として存続した期間は、わずか3年余りでした。
神社隣に駐車場と神社前に案内図があります。素晴らしい山城でした。特に西曲輪の堀と高い土塁、北側の守りの硬さは圧巻です。
お盆休みの8/13に訪問。通り沿いの小高い丘のような場所にあり、神社の隣のパーキングに車が停められます。地図も神社の入り口前にしかなく、左側の緑の線の大手門コースへ降りて行くと私有地につき立ち入り禁止で降りれませんのでご注意ください。遺構は土塁や空堀などしか残ってませんが、このような通り沿いで立派に残っている事は素晴らしいと感じました。丸馬出しや何重にも構えられた土塁は圧巻です。続100名城だけはあります。
続100名の古宮城です。現在はこちらは個人が所有されているみたいですが手入れがきれいにしてあり保存状態が良いです。堀、堀切、曲輪、土塁、切岸等々きれいに残っており分かりやすい土のお城かなと思います。自分が感じたのは1月に行った静岡の島田市にある諏訪原城をコンパクトにした城のように感じました。実際、この2つ城は武田氏の城であるので共通点も似てる所があって当然なんでしょうが。古宮城は武田信玄の時代に家臣の馬場信春の縄張りで築城されたものです。入り口は白鳥神社から入る事ができます。
現地に着いたときは「なんでこんなのが続百名城?」と思いました。しかし神社の奥の急坂を登ったところにいきなり明瞭な虎口が現れ、その先は全山遺構だらけ。小さな丘全体が、これでもかというほど徹底的に手が加えられて精緻な縄張になっており、しかも奇跡のようにしっかりと残っている。これは驚異的なお城です。なかなか訪問するのは大変ですが、お城好きの方はぜひとも行ってみて下さい。近くの歴史資料館も充実していて素晴らしいですよ。
続100名城。スタンプは新城市作手歴史民俗資料館の玄関(外)にあります。白鳥神社横に4、5台程度の駐車スペースがあります。馬場信春の縄張りだそうです。土塁と空堀を駆使した土の城跡です。大堀切を境に西と東に分かれていて特徴が違います。白鳥神社から登ります。すぐに虎口に行きあたり、大堀切から西側の連続する土塁と横堀に感動して走り出したくなりました。土塁の上や堀底を歩くとわくわくします。土の城好きにはたまらないお城跡です。
古宮城は武田流の築城の名手馬場信春によって築かれたといわれおり、武田勝頼が長篠の戦いて敗れたあとは廃城になったそうです。7月の平日に訪問したので貸切状態でした。主郭を含む東側と二の丸を含む西側で全く様子が異なり、東側は横堀や土塁も少なく帯曲輪が連なる一方で、西側はこれでもかというぐらいに横堀と土塁が何重にも張り巡らされていました。特に感動したのは、二の丸下の曲輪には丸馬出があり、これぞ武田の城を感じられました。また、もう一つの特徴として主郭と二の丸の中に仕切り土塁があり曲輪を分断しているのを初めて見ることが、なぜこれが作られたのかはわかりません…主郭からは西側の土塁が一望でき、築城時に西側からの攻撃を相当意識して作られたことも感じられました。古宮城は狭い城域に土の城の技巧が詰め込まれており、杉山城を彷彿させます。複雑な遺構を楽しむためにも、是非縄張り図は必携です!夏場にも関わらず、草がかってあり整備されていてとても歩きやすく、遺構を見逃さずくまなく散策でき感謝しかありません。駐車場は白鳥神社の隣に数台分あります。
2022/09✨続日本100名城スタンプは離れている作手歴史民俗資料館で押すことができます!小2女子と小5男子を連れていきました!とにかく道がよくわからずウロウロ1周しました!10分もかからなかったと思います。湿地というか草がたくさんなので、靴とズボンで行くことをオススメします!達成感はありませんでした。大きいヒノキアリ!駐車場は3台ぐらいの場所あり(看板あり)作手歴史民俗資料館の方は無料で見ることもできその後道の駅つくで手作り村にて五平餅を食べて美河フランクスーパージャンボめちゃくちゃ美味しかったです!その後道の駅の裏手に亀山城址があり行きました!100mほどのぼったとこです!
愛知県で見られる数少ない武田の城跡ですね、後年の徳川色も少しありますがほぼ武田の、しかも築城名人の馬場信春の作です、武田滅亡までの3年間しか機能しなかったのですが山城派の方々の期待を裏切らない傑作だと思いますよ大通り側から曲がり白鳥神社の鳥居の先30m位に登城者駐車場5台位、鳥居の前の空き地も3台位停められます鳥居の横に案内板があるので読んでから縄張り図を写真に撮りましょう推奨観覧ルートが載っていますのでこちらを基本にして歩きますが本格城攻め派は寄り道ばかりする事になりますね標高差は30m程、見どころはなんと言っても武田式の土塁ですね一文字土塁、仕切り土塁、堅堀の両サイドに積み上げた堅土塁など武田好きには天国です防御重視だった様で迷路の様な堀や横堀、高い堀切、枡形虎口、西面には大量の段曲輪と馬出しで迎撃したのでしょう降りて来てから神社の左側の大堀切から再度本郭まで敵兵気分で登ってしまったなんだろう?武田の城跡に行くとつい昂ぶっちゃいますねこの後はすぐ近くの「道の駅つくで」で休憩がてら第2駐車場から奥平氏の亀山城を見て下さい。
名前 |
古宮城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
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土塁、空堀、曲輪の跡がよく残っている。神社の右側に駐車できるスペースが数台ぶんあります。西側を除いた3面の泥炭湿原については歴史民俗資料館で学習できます。