三河のあじさい寺、深溝松平家の歴史を感じて。
向野首塚の特徴
島原藩主深溝松平家の菩提寺がかつて存在した場所です。
三河のあじさい寺として有名な本光寺の由来を知ることができます。
特徴的な御首験松は昭和25年に枯死し、現在は面影がありません。
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ポケストップ。
深溝松平氏の初代忠定、2代好景の御首験松と呼ばれる松が二本あったが、昭和25年に枯死して伐採され、かつての面影はない。
名前 |
向野首塚 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.8 |
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島原藩主深溝松平家の菩提寺は、三河のあじさい寺として有名な本光寺ですが、もとはこの場所にあったとされています。墓所の説明看板には以下の説明があります。「向野墓所は天正十八年(1590)に、深溝松平家が徳川家康の関東移封に従い深溝を離れるまで、深溝松平家の一族墓として使われていました。深溝松平家の移動に併せてこの地に建立されていた本光寺も関東に移ったため、墓所も一緒に移動したと考えられます」現在は、初代・忠定(源元公)、二代・好景(源昭公)それぞれの「墳松」の石碑が建てられています。ここには「御首験松」が1950年まで、ありました。そういった歴史のある場所です。