殉国七士廟で感謝と鎮魂を。
殉国七士廟の特徴
太平洋戦争後、A級戦犯が眠る場所として知られる。
歴史の真実に触れられる貴重なスポットである。
殉国士に感謝と鎮魂を捧げる重要な場所である。
知らないとはなんと、何と、悲しく、罪なことか。 この地に行かせて頂き、真実を教えて頂いた事に感謝です。この地を美しく守って頂いている方々の尽力には頭が下がります。 ありがとうございます!
幸田町側の登山道から三ヶ根山に登ってきた際にここを通りました。事前に調べてなかったので、山頂にこのような慰霊碑群があるとは思いもせず大変驚きました。「殉国七士廟」とは東京裁判で死刑を執行されたA級戦犯の墓碑で、遺骨も実際にそこに埋まっているとの事。他にも戦没者慰霊碑が多数あり、戦場で散った英霊達がここで眠っています。帰宅してからこの場所について調べてみました。戦後からもう随分と年月が経ち、戦争そのものが風化しつつある昨今。ですが、日本人なら、愛国者なら、ここは一度は足を運ぶべき場所だと思いました。今の日本はこの方達の犠牲の上にあるのだから。
この廟の庭園を管理されている方と話す機会があり、資料もたくさん頂き勉強になりました。アクセスは東幡豆駅からタクシーで行こうと、東幡豆駅からタクシー会社に連絡しても断られたので、西尾まで電車移動しジャパンレンタカーを6時間¥3500で借りて、ようやく辿り着きました。
殉国士と御英霊に感謝する場所。何度行ってもいい所です。下のお墓も全部参拝してきます。
昨年2月にブラっとドライブに出掛けて三ヶ根山ドライブウェイで休憩中に見つけました。息子と歩いて向かいましたが前知識無し。しかし驚くべき事か太平洋戦争のA級戦犯の判決を受けて処刑、遺骨は英雄視されないように海洋投棄されるべきはずなのが実はここに眠られている。そのストーリーは殉国七士で是非検索してください。日本国民なら是非知っておきたい教科書に載せたい事例である。
Googleマップで経路を検索すると、裏道の林道を示しますが、この道は車は絶対に通れません。バイクでも命の危険があります。大人しく三ヶ根山スカイラインを通って来ましょう。荘厳な雰囲気に包まれています。
ネット社会の現代でもなかなか知ることが出来ないことを知ることが出来て、行った甲斐がありました。写真に収めてきましたので、是非読んでみてください。
巣鴨プリズン跡地を訪問後に極東軍事裁判について調べているとき興亜観音と殉国七士廟の存在をはじめて知りました。はじめは車でGoogle Mapの経路案内県道41号線交差点(逆川)から入るルートで向かったのですが、車道が途中からなくなり殉国七士廟には行けませんでした。その後、南側の三ヶ根山スカイライン(通行料金420円)から向かうと殉国七士廟参道入口に無事到着できました。参道入口前の駐車場からは三河湾が一望できます。立派な石門を越え廟内に駐車しトイレに行った後、殉国七士墓及び独自動車第二四八中隊、豪北派遣第五七〇八部隊、お町碑、南支派遣軍沖三七五〇部隊、第一・第三・第九・第十一航空通信聯隊、飛行第五十・七十五戦隊、軍馬の墓、騎砲兵第四聯隊、満州第八〇五部隊、飛行第六十七戦隊、第二十七野戦貨物廠、第二十四師団通信隊、第三師団通信隊、戦車第三師団工兵隊など複数の慰霊碑にお参りしました。あらためて大東亜戦争でお亡くなりになられた偉大な先人に感謝するとともにその遺志(恒久平和および各民族の自立自存と共存共栄、大和民族としての自信と誇りを持って)を受け継いで生きていかなければならないと思いました。(2020年9月26日)殉国七士墓石横の石碑には以下のように書いてありました。u003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003d米国の原子爆理使用ソ連の不可侵 條約破棄物資の不足などにより敗戰のやむなきに至つた日本の行爲を米中英ソ濠加佛蘭新蘭印比十一ヶ國は極東國際軍事裁判を開き事後法によりて審判し票決により昭和二十三年十二月二十三日未明 土肥原賢二 松井石根 東條英機 武藤 章板垣征四郎 廣田弘毅 木村兵太郎七士の絞首刑を執行した横濱市久保山火葬場よりその遺骨を取得して熱海市伊豆山に安置していた三文字正平辯護士は幡豆町の好意によりこれを三ヶ根山頂に埋葬し遺族の同意と 清瀬一郎 菅原 裕 両辯護士等多籔有志の賛同とを得て墓石を建立した遙かに遠く眼を海の彼方にやりながら太平洋戰爭の真因を探求して恒久平和の確立に努めたいものであるu003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003d
静岡の豊橋市からGooglemapsを使用しバイクで向かう事にしました。しかし細い林道を案内され、着いた場所は何かの小さな施設。この場所からでも歩きで2キロ程登れば着くようです。しかし調べ直してみると実はここは裏側らしく反対から楽に行けるようで、結局引き返す途中にバイクが苔と落ち葉で滑り怪我をしてしまい行く事を断念しました。もしバイクで向かわれる方がいらっしゃれば是非参考になれば嬉しいです。次は必ず辿り着きたい。
名前 |
殉国七士廟 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.4 |
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【愛知県西尾市の三ヶ根山-殉国七士廟を慰霊訪問】三重県津市の三重懸護国神社、名古屋市の愛知懸護国神社参拝と同じ日に西尾市の三ヶ根山にある殉国七士廟を慰霊訪問。1人の日本男児として靖国神社や日本全国各地の護国神社参拝。大東亜戦争激戦地を慰霊訪問していますが、殉国七士廟は初めての訪問。終戦後、連合国による東京裁判の判決によって死刑判決を言い渡され、昭和23年12月23日に死刑執行された7名の軍人、政治家を祀っている場所。高さ5メートル程の石碑に「殉国七士墓」と岸信介の揮毫が彫られています。7人の遺骨は実際に碑石の下に埋まっているとされています。東条英機、土肥原賢二、板垣征四郎、木村兵太郎、松井石根、武藤章、広田弘毅ら7名が祀られています。※NikonのフラッグシップミラーレスカメラZ9で撮影使用レンズはF2.8 24-70mmのレンズ。