静岡の社山城跡、歴史の息吹を感じて。
社山城跡の特徴
社山城は浜松からの重要な交通路の結節点です。
不明ながらも匂坂氏築城の歴史ある平山城です。
登城口は北と北東に設けられ、散策路が整備されています。
この社山城は見付から二俣・水窪を通って南信濃まで抜ける南北ルート、浜松から天竜川の渡河点、掛川へ抜ける東西ルートの結節点。交通の要衝をおさえる地点にあります。信玄も家康も攻めの拠点として利用しています。遺構は随分残っています。がっつり整備されているわけじゃ無いので、縄張り図を見ながら進むといいでしょう。車は北曲輪側の入り口、二の曲輪本曲輪間の古道の舗装道路から入った所が広いです。でも沢山はとめられません。堀切探しは登山靴の方がよかったなぁと思いました。
社山城跡(やしろやまじょうあと)所在地 静岡県磐田市社山築城年 不明築城者 不明形態 山城(標高136m・比高90m)遺構 土塁・堀切・曲輪指定 磐田市指定文化財片瀬城 米倉城と回った後だったので、随分ましに感じました。道が整備され遺構に看板が設置されているので楽でした。まあ、探し回るのも面白いですが!
神社の少し上が最上部とおもわれますが、眺望は全く無く、新東名を走る車の音だけが聞こえてきます。
登城口が北と北東の2ヶ所あり。北側からが本曲輪に近く堀切や土橋もあるのでお勧め。本曲輪西側下の横堀。本曲輪と二の曲輪の大堀切は深さ10m近くあるとか。
対二俣城攻略には、大井川越西、武田南北線を供給線として活用するには、都合の良い場所ではなかったかと。
三方ヶ原の戦いの際に武田軍が駐屯したとされる城跡。曲輪、横堀、堅堀、土橋、堀切、土塁跡が残っているが、あまり手入れされていないため遺構が削れてしまっていたり、二の曲輪方面は薮になっている。城跡入口までの道は案内柱があるが分かりにくい。駐車は空いているスペース2台程度。トイレは無い。
戦国時代、まだ天竜川は現在よりも数百メートル東を流れており、ここは川沿いの小高い丘に築かれた平山城でした。武田、今川、徳川が遠江の支配を巡り争っていた時分は、ここは交通の要所として、また二俣城の附け城として、重要な役割を果たしたそうです。ただし、城主が常駐していたかは定かではなく、普段は物見程度で争乱時のみ兵が駐留する、砦のようなものだったのかもしれません。まあ、大半の山城は大抵そんな感じですけどね(普段の生活はふもとに屋敷を構えてないと、不便でしょうがないでしょうから)現在は空堀や土塁等の遺構が残されており、往時を偲ばせます。本曲輪(本丸)跡は、現在は神社となっているのはお約束ですね。
城跡の解説板によれば、今川氏に命じられた匂坂氏が築いたされる。武田氏と徳川氏により争奪戦が行われたとも。堀切、土塁、横堀、竪堀、郭等が残る。神社のある本郭は草刈りがされているが、その他ほとんどが藪。
山頂の本曲輪と幅10メートルほどの堀切を挟んで東側に位置する二の曲輪が中心の山城。城内には社山の名のとおり、本曲輪にある八幡神社をはじめ、多くの社がある。また尾根筋には二重堀切をはじめとしていくつもの堀切が配されているほか、土塁や竪堀、横堀が連なって配置されていて厳重な構えとなっている。歴史的には当初今川氏のものであったと考えられるが、その後武田信玄が二俣城攻略の拠点としたり、武田氏が二俣城を領有した際には徳川家康が陣を張って備えたとされている。
名前 |
社山城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
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2023年7月20日行って来ました。行き方Googleナビで社山城跡案内板をセットすると行けます。撮影済み駐車場専用駐車場は無しですが、ナビが終わった先にスペースが有る。感想案内板を写真を撮り東側へ移動すると入り口が有ります。道中は一様整備はされていますが、完全に整備はされていません。登山靴推奨します。途中堀切や土塁が見れます。登り切ると神社の所に縄張り図が有る。撮影済み。