聖観世音菩薩に会う古刹でどうでしょうか。
岩井寺の特徴
車でアクセスする際は急坂に注意が必要です。
付近の道は狭く、軽自動車が最適です。
ミニバンは通行が難しいため避けた方が良いです。
車で行けるが、急坂、幅員は狭い。銀杏の葉が沢山堆積しており、滑りやすい。気を付けて下さい。結局、お寺さんまで行きませんでした。
岩井寺(がんしょうじ)所在地 掛川市岩井寺32宗 派 高野山真言宗山 号 佐束山寺 号 岩井寺御本尊 聖観世音菩薩木造立像創建年 741年開 山 行基開 基 聖武天皇遠江三十三観音霊場 第三十三札所訪問日 2022/7/21再訪問 2025/5/4創建年代は、旧歴天平13年1月(741年)という古刹である。奈良時代、聖武天皇の命を受けた「行基」が3体の仏像を携え行脚の中で、この地に不可思議な霊力を感じ仏法守護の仏像を安置することに決めたと云う。平安時代に入ると、弘仁年間(810~824年)頃には全国行脚の途中であった「空海」が真言密教の道場として、国家安泰•仏法隆盛を祈願し『金剛頂経』1巻を奉納したという。室町時代には、足利尊氏の中興により山号を「久谷山」寺号を「平林寺」と定めた。その後、足利義満が1402年に山号を「佐束山」寺号を「岩井寺」と改めた。慶長年代に地域の豪族、大須賀康高が祈願所といた。1.300年以上の歴史ある寺院で、朱色の楼門や観音堂が立派で一見の価値有りです。境内には、蘇鉄・ナギ・銀杏などの巨木もあり、云われの説明はないですが、遠江三十三観音霊場の雰囲気は満喫できます。
付近の道は狭く、軽なら大丈夫ですが(1500ccくらいの車でギリギリ通れます)ミニバンは避けた方がいいかも。(すれ違いは不可です。)赤い色が鮮やかな鐘楼門はとても古い物です。鐘楼(かね)がありませんでしたが、天井板がなく、どのようにできているのか良くわかります。この鐘楼をくぐった右側にナギの木と蘇鉄の木があります。どちらも大きく、ナギの木は、私が見た中ではベスト5に入る大きさです。鐘楼門付近が一番風情があり雰囲気も良いですよ。遠江三十三観音霊場のお堂は鐘楼門を正面に見て、右側の小高い山の上にあります。こちらも、立派なお堂です。
がんしょうじ。厳井寺とも。と、ここに書いてもGoogle検索では検索されないので、厳井寺はGoogleから見えないdark webに落ちたまま。
| 名前 |
岩井寺 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
遠江三十三観音霊場の参拝でお伺いしました、観音霊場第三十二番札所になります。佐束山岩井寺(さづかさんがんしょうじ)といい高野山真言宗のお寺になり、御本尊は聖観世音菩薩立像で行基菩薩の作と伝わります。第四十五代聖武天皇の勅願により新仏三体を持って都を後にした行基菩薩はこの地に入って不思議な霊力を感じた。そこでこの地を仏法守護の霊山として本尊救世大悲の像を安置したのが天平十三年(741年)の正月と伝わる。弘仁年間(810年~824年)の頃に弘法大師空海が巡錫、真言密教の道場としてここに国家安穏仏法興隆のために金剛頂経(根本経典)一巻を奉納した。その後足利尊氏(1305年~1358年)は圓教僧都を中興の開山としてここの寺名を九谷山平林寺と改めたという、応永九年(1402年)足利義満の時に寺名を佐束山岩井寺と改めた。永禄年間から天正年間(1558年~1592年)にかけ甲斐国武田軍の度々の侵攻により七堂伽藍の全てを焼失している。慶長年間(1596年~1615年)横須賀城主の大須賀康高が当山に帰依し現在の伽藍の一部を寄進したものと伝えられている。山門は鮮やかな朱色で二階建ての建物で、二階部分には廻縁を付し四隅に納め擬宝珠付き高欄を設置している。