歴史舞台の夜泣き石、猫も出迎え。
久延寺の特徴
境内には語られる『夜泣き石』が安置されています。
行基が開創した真言宗の趣ある古刹です。
看板猫が迎えてくれる、心温まる雰囲気の場所です。
小夜の中山峠の中腹に位置する古刹です。山内一豊が関ヶ原合戦のきっかけとなる会津上杉征伐の軍を大坂より進めてきた家康をもてなした茶亭の跡や、その礼に家康が植えたとされる五葉松が残っています。境内は市の文化財に指定されています。また、夜泣き石伝説ゆかりのお寺としても有名です。ちなみに、本物の夜泣き石は、小泉屋付近に移設されたそうです。
半世紀振りに訪れました。夜泣き石も風格さえ感じました。地元の小夜鹿の方達とも触れ合う機会が有りました。東海道の良さを感じました。
小夜の中山の舞台となるお寺。横のお土産やさんで子育て飴を買うとお店の方にもう4時近いから、鐘を4回突いてくださいと言われて妻と交互に時報の代わりに鐘突をしました。
2021年10月の平日に訪問。この境内にある夜泣き石はレプリカ?なんですね。夜泣き石伝説のストーリーには諸説あるようで、掲示されている場所によって色々です。
本当の夜泣き石は国道の方にあります。
東海道を肌で感じられる場所道が狭いので車やバイクは気を付けて!景色は最高です。
バイパス近くにもあった夜泣き石、どちらが本物?って感じですが(笑)広くないお寺ながら 静かで厳かな雰囲気に落ち着いて参拝出来る 素敵なお寺です😃🅿️も数台分あり、そこから見る景色がすばらしいです。
行基が開創した真言宗の古刹で、子授け、安産、子育て等にご利益があります。夜泣石伝説で有名な「夜泣石」、山内一豊が家康をもてなした茶亭跡、家康手植えの五葉松等があります。門前には旧東海道が通り、近くには水あめ「子育て飴」を売る扇屋(土・日営業)、西行法師の歌碑、一里塚、小夜の中山公園等もあり、茶畑を眺めながらの歴史散歩を楽しむことができます。
門を潜って境内に入ると、看板猫が出迎えてくれます。こちらの夜泣石は、伝説に出てくる妊婦を供養するためのものだそうです。本物(?)の夜泣石は、1㎞程離れた国道1号線沿いにあります。古いお寺ですが、お寺の方が見当たらず、歴史に関しては知ることは出来ませんでした。門の向かえに駐車場があります。
名前 |
久延寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0537-27-1472 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
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このお寺の境内にはこの付近で語られる『夜泣き石』が安置されています。実はこの夜泣き石、国道1号沿いのお茶屋小泉屋の裏にも安置されています。強盗に襲われた妊婦が死ぬ直前子供を産み落とし、そばにあった丸石にのり移って夜な夜な泣いたことからその石は『夜泣き石』と呼ばれることになりましたこの夜泣き石は元々東海道にあったのですが明治天皇の東京行幸の際、畏れ多いという理由で久延寺へ移設されました。久延寺はこの石を観光の目玉として展示。明治14年(1881)には東京浅草で開催された「勧業博覧会」へ出品しましたが、その際別に張りぼての石の中に子供を入れて泣き声を出させる見せ物が大繁盛しており、本物は“泣かない”とのことで全く人気が出ませんでした。興行として大失敗した為そのまま静岡に返されることになりますが、焼津まで到着した段階で資金が枯渇。焼津和田港にて雨ざらしになりました。このままではいけないと茶屋『小泉屋』のご主人が買い取り現在の小泉屋の裏に安置される事になります。さらに昭和11年、今度は小泉屋が東京・銀座の松坂屋で開かれた静岡物産展に出展、こちらは大評判になったようです。それを見たからは分かりませんが久延寺は所有権を主張し小泉屋と裁判まで起こします。が、結果は当然敗訴。そこで元々夜泣き石があった場所にて似たような石を用意。夜泣き石の代わりとして境内に安置したようです。それで夜泣き石は2つ存在するわけですね(正確には一つは夜泣き石ではないですが)ややこしいです(;^_^A