増神明社で神聖なひとときを。
普通に気づかないGPSが無ければ見つけられなかったと思う。
名前 |
増神明神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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HP |
http://www.shizuoka-jinjacho.or.jp/shokai/jinja.php?id=4405064 |
評価 |
3.7 |
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増神明社は増地区の氏神である。創建時期は不明だが、江戸中期の寛政年間に修繕を行ったという伝承がある。また、大正五年に合祀された佐栗神社は、増の西組の産土神であった。かつては左宮司社と称したが、明治元年に佐栗神社に改称した。なお、大正二年の不二見村誌では祭神を猿田彦命とするが、明治十四年の駿河村誌では保食神としている。創建は鎌倉期の元仁元年(1224年)とされる。神明社については江戸期の地誌に記載があるが、シャグジの存在は記されていない。このためか、今井野菊氏も踏査していないようだ。昭和二十年に社殿が焼失したため、現在の社殿は駒越小学校にあった奉安殿を転用している。拝殿前に、崩れてしまっているものの、神社の規模に比して非常に大きな灯籠があった。偶々居合わせた氏子総代の方に話を聞くことができ、東照宮から譲り受けた灯籠だと教えていただいた。佐栗神社についても、現在も西組の旧地に祠があると御教示いただいた。駿河シャグジの例に漏れず、地元では稲荷に近い存在だったようだ。このため、明治期の駿河村誌では祭神を保食神としていたのだろう。なお、長崎新田の佐口神社では同様の位置づけが固定化し、現在も保食命を祭神としている。さて、不二見村の隣村である三保村には佐久神社があるが、こちらもかつて雙栗(サクリ)神社と称したことがあり、山城国久世郡鎮座の雙栗神社と同神としていた。これらはシャグジの音韻からの転訛と思われ、京都の雙栗神社との関連は後付けと考えている。奉安殿を社殿にしていることを含め、共通点が多い二社である。佐栗神社の現在の祭神が猿田彦命であることも、三保佐久神社に合わせたのかもしれない。さらに、佐栗神社の創建が鎌倉期とされていることは注目に値する。三保佐久神社は創建年が明らかでないが、周辺に鎌倉期の史跡、伝承が多いことに通じる。ほとんどのシャグジが創建年月不明とされる中、駿河シャグジの起源が中世にあることの重要な裏付けとなる。氏子総代の方には、拝殿前の石祠が三峯講の祠であることも教えていただいた。現在も講は続いているそうだ。